14日 月曜日 携帯がほぼ通常通りになる

月曜日だったが、臨時休校・休園。
よって、家の中で三姉妹お祭り騒ぎ(汗)

でも、三姉妹・・・余震には敏感で、ちょっとでもグラッとくると、一斉にリビングに集結して円くなる。ゆきねーは、必ず二人を自分の腹の下に隠す。

教えた訳でもないのに、母性本能か動物的本能か・・・何度見ても立派だなと思う。そして、揺れが収まると電気やピアノを確認して(ここがポイント!)遊び再開。

友人の安否も気になり、この頃は、一日中災害情報をテレビで見ていた。
震災直後の悲惨な映像が流れると、三姉妹はテレビの前に集結。怖くてイヤよーと言っていたのに、なぜか引き込まれるように見ている。

テレビの放送で流れていることは、真剣に聞いて受け止めているようだが、私のお買い物情報には全く信じてくれず。

近所のスーパーで買い物をしてきて、買ってきた物に群がるハイエナ三姉妹。買ってきたものがいつもと違うのか、納得いってない様子。私が、店の中に入れないことや売っているものに限りがあること、みんな長い列になって買い物待ちしていること。

話しても話しても納得いってない感じ。信じられないのか信じたくないのか・・・どっちかわからないけど、こうした危機的状況に向き合わなくちゃいけない時もあるってどうしても伝えたい。

お菓子も少し少しで買えたけど、限りがある。ご飯のおかずになる物だってほとんどない。それがどうしても伝わらない(怒)

だからといって、あの人ごみの中に連れて行ってまで説明するのも気がひけるし・・・。なんとも難しい時間だったような気がするなぁ。

それでも、買ってくる物があまりにもくだらない(彼女達的には)物で、母が作る物は一品料理が多いかったので、徐々におやつではなく今はおにぎりを食べる時なのだと察してきた。

そして、この頃からしばらく休養中だったホームベーカリーさんを招待してパン作りが始まった。最初はとにかくパンが食べたくて。昨日のお水同様。ないと思うと食べたくなる現象が起きてしまい、やる事は山のようにあるのにパンを作った。この日は2斤。

そうそう、この日はママ友からいきなり

「今から行っていい??」

って電話がきて。チャリで行くからちょっとかかるけど、なんて言って結構すぐに到着。車だと軽く5分~かかるのに、すごいわ。

で、何の用事かと思ったら

「これっ!!」

って渡されたのが、ホワイトデーのお返しーーーーー!!(驚)

そこのうちも3人姉弟なんだけど、地震で家にひきこもりでうるさいから作ったんだって、ミニデコドーナツ♪♪♪

写真撮る前に食べられちゃったけど、これにはうちの三姉妹も大興奮!さすがに、一日一個って決めて、三人でお行儀よく食べてた(笑)

そしたら、夜にはゆきねー宛てにホワイトデーのお返しが・・・。このガソリンのない時に、本当に申し訳ない・・・。いつでも良かったのに・・・。でも、親としてはそうもいかないって感じなんだろうね。本当にありがたかった。ゆきねーは、大喜びだったわい。

この日は、夜によしり~なの会社に研修で来ていたドイツのフランクから電話が入った。

福島の原発問題がドイツで(どこの国でもだと思うけど)大きく取り上げあられていて、すごく心配になったと。
フランクファミリーは、我が家のことを話し合ってくれたそうで、もし日本がもっと大変な事態になって出国しなくなったら、ドイツにこい!と、部屋もあるしいつでもウェルカムだ!と。

もうね、外国人のみなさんの心・・・ちょっと違うねって思ったよ。よしり~な宛てに海外のよしり~なファン・・・違った、よしり~なとこっちでお仕事をした人たちからいっぱい心配のメールがきたらしくて。よかったねーと話したのでした。

でも、中には

「いつ来れる?」

的なメールを送ってるやつもいる訳で、自己チューだなと二人で怒ってみたり。でも、本当は出張予定だったから、来月頭には出張になりそうで、ちょっと不安だよ・・・。私一人で三人守れるかー?!なんてね。

この日は、震災後初めて外に出たり、色々作ったりした日で、電気もメールも出来るようになって、気持ちホッとして夜は爆睡だったような気がする。余震は続いていたけど・・・。

さて・・・13日(日)の一日。

この日は、夕方まで断水。

溜めたりしていたものの、やっぱり水がないというのは大変だね。

人間て都合よく出来てるもんだと、思った。

水があると喉が渇かない。
水がないと思うと喉が渇く。渇く!渇く!

震災後、いつでも水を!と500のペットボトルに水を入れて常に そばに置いているんだけど、断水の日は喉が渇いて、大事に飲んで、 なくなってはやかんから足して・・・ってしてたんだけど、断水じゃないと水は減らない。わがままなもんだね。

そして、この日は、お義兄さんがガソリンをやっとこ入れて山形へ。
単身赴任先の仙台は帰っても無駄だろうと実家に帰った。
山形も停電だったりしたみたいけど、あちらは畑に大きな小屋もあ って(生活できるスペース)、自宅にはガス釜があるし、石油ストーブもあって暗いだけで、不便じゃなかったらしい。

ま、こっちも暗いだけだったからいいけど(笑)

13日は、一日テレビを見ていたなー。
この悲惨な現状をしっかり目に焼き付けて、受け入れて、自分の生活をしないとなーと考えた一日だった。

そのおかげかどうか分からないけど、この日を境にするべきことがちょっと見えて、食事もない!ない!じゃなくて、あるもので頑張ろうと思えたり、次から次へとこうすればいいじゃない!っていうことが出てきたっけ。

だから、おやつがないから困る!じゃなくて、おやつ=お菓子じゃない。おやつ=お腹を満たしてくれるものって考えればいいって。
それから、ご飯を炊くときは5合まとめて炊いて、おにぎりを常時テーブルに置いておいて。

そしたら、子供達もお腹が空いたらおにぎりをムシャムシャ。

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こうして、弁当箱(ピクニック用)に入れて置いてた。子供達が、自分の弁当箱にもって、自分のに入れて、そこから食べてたりして。

※この写真のおにぎりはわかめ入りですが、災害直後の2日間くらいは、塩握りでした。

飲み物に関して言えば、確かにジュースは好きだけど、それがなければ、お茶よりお水が好きな娘達。本当に良かったな、って。それぞれが好きな水筒やマグに入れて、いつでも飲めるようにして。それだけ、ただ飲むだけより楽しさ加わってよかったみたい。

食事も1品料理にはなるけど、いっぱい作って大きな皿で出して。カレーなんかは、ルーがないからちょっと水っぽいけど、具材はいつも通りにで作って。とにかく、お腹はいっぱいさせたくて、味は薄めでも量を沢山作って安心させたかった。

そんなこんなで、始動した我が家。


沿岸の方達は本当に大変だけど、こちらも前を向かなくちゃ、あちらの支援も出来ない!ということで、前進し始めたのでした。

こんな中でも子供達は元気!!

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外でも元気に遊べるし、走れるし。

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夜はこうしてみんなで眠れば怖くないし、あったかいし。

「人間、やってやれないことはない」

って亡き母が言っていたけど、本当にそうなのかもしれない。 ただ、もすごい頑張ってやろうとして命を落としてしまうこともあるけど。でも、人っていかなることがあっても全力を出して前に進める動物なんだろうなって思う。

欲も見栄もなーんにもなくなれば楽になるのかな・・・なんてね。

あ!!



と言ってる間に3月は終わり、4月に入ってしまいました。今年も1/3が修了。早い・・・。

3月は特に怒涛の日々でしたが、そんな日々の出来事を改めて振り返ってみたりして。


震災後、テレビでは



「東北関東大震災」


と言われたり、



「東日本大震災」


どっちが正しいのでしょうか?ちょっとおばさん混乱していました。

でも、「東日本大震災」で決定のようですね。確かに東日本だわね・・・。

テレビを通して、沿岸部の映像は毎日流れていましたが、一応震度6あった内陸部の様子をお話をします。


12日 停電・断水スタート・NTT回線使えなくなる


実は、震災当日11日はガスと水はありました。なかったのは電気だけ。

相変わらず、携帯のワンセグとラヂオに頼り、現状を把握していた感じ。

後は、区長からのセンター便りが来て状況把握。

私達は、奥州市江刺区に住んでいるんだけど、区内もさらにいくつかに分かれていて、家の愛宕地区だけ水がでていることが発覚。

これは、もしかしてこっちも時機断水するのでは?と思い、早速風呂にバケツに鍋にあらゆる入れ物に水を溜める。

歩いて20分くらいかけて近所のスーパーを偵察。


人が入り口に向かって並んでいる。結構な人数。
お店の中はグチャグチャだったらしく(店員さんとお友だち)、中には入れないため、売れそうな物だけを入り口に持ってきて売ってくれるって感じ。ほしいものを叫ばなくちゃいけなくて、店員さんも大変そうであんまり頼めなかった。とりあえず、軽くて保存できる食べ物をゲット。


それから、道路を挟んで向かいにある薬局スーパーへ。そこも列・列・列。でも、お義兄さんが言ってみようと言ったので行ってみる事に。
並んで待っている間、店内をのぞいたりしてたんだけど、天井に穴が!!剥がれ落ちてる!!あっちもこっちも壊れて、地震のすごさを物語っていた。


店内へ入れてグルグル回れたけど、途中でかなり大きな余震が!!
その時、ペットボトルがいっぱい並んでいるところに立っていたから本当に怖かった~。ペットボトルが迫ってきて子供達も泣きそうに。私だって怖かったよ・・・。


そして、会計を済ませてまたトボトボ歩いてお家へ。途中、コンビニの公衆電話が使えるか確認したり・・・新幹線の線路の下をチェックしたり・・・ガソリン待ちで並んでいる車を横目に岐路に着き、暗くなる前にご飯。大人3人子ども3人でパスタ500gでナポリタンした!!みんなで食べるご飯は美味しい~って子供達飢えてるのか、ガツガツ食べてたなー。


夜、子供達が寝静まってから、男性軍は体が冷えると二人で体が温まる物を飲んでいました(笑)こんな形ではあったけど、久々に兄弟一緒になったんだから、ちょっとくらい楽しいことあってもいいのかな・・・って思ってOK出しちゃいました。私は・・・お水でしたよ。

12日は、訪問客もありました。旦那さんのお友だちと私のお友だち。
私なんて、そのお友だちと抱き合って「よかったね、よかったね」って連呼しちゃったよ。でも、こんな時こそ、誰かと会って自分たちは生きてるんだって確認しあうのはいいな~って思った。


そして、夜中・・・布団に入ってから、旦那さんが突然。


「んっ!!!!!!」


と大きな声を出した。何?と思ったら。


「電気点いた!!!!!」


えー?うっそー?なんで分かるの?と思ったら、旦那さん起き上がって冷蔵庫を開けた。


「ほらね。」


本当に点いていた。ブラボー、よしり~な!!


でもね、今回の停電・・・電気がないと本当に静かなんだなってことがよーくわかった。それに慣れてきていたのに、電気の音に気がつかなかった私。耳おかしいのかも。耳の中雑音だらけなのかもね・・・・・。


この日は、電気が点いた安堵もつかの間。お次は断水。明日からどう乗り切ろうか、そればかり考えていたような気がする。



昔の人はすごいな・・・って考えたり、今の世の中、便利すぎるんだなって考えたり・・・これくらい(断水だけ)のことで弱っちーな、私って思ったり。


電気がなくても、水が出なくても、やろうと思えばやるべきことは見えてくるはずなのに、電気がないから、水が出ないからって理由を並べてダラダラしちゃってダメだーって思ったり。


携帯も使えないから、頭の中だけいっぱいいっぱいになって、若干パニくっていたのも事実。


でも、13日からは、少し思考を切り変えて、行動し始めた。
その模様は、また次に。