あ!!
と言ってる間に3月は終わり、4月に入ってしまいました。今年も1/3が修了。早い・・・。
3月は特に怒涛の日々でしたが、そんな日々の出来事を改めて振り返ってみたりして。
震災後、テレビでは
「東北関東大震災」
と言われたり、
「東日本大震災」
どっちが正しいのでしょうか?ちょっとおばさん混乱していました。
でも、「東日本大震災」で決定のようですね。確かに東日本だわね・・・。
テレビを通して、沿岸部の映像は毎日流れていましたが、一応震度6あった内陸部の様子をお話をします。
12日 停電・断水スタート・NTT回線使えなくなる
実は、震災当日11日はガスと水はありました。なかったのは電気だけ。
相変わらず、携帯のワンセグとラヂオに頼り、現状を把握していた感じ。
後は、区長からのセンター便りが来て状況把握。
私達は、奥州市江刺区に住んでいるんだけど、区内もさらにいくつかに分かれていて、家の愛宕地区だけ水がでていることが発覚。
これは、もしかしてこっちも時機断水するのでは?と思い、早速風呂にバケツに鍋にあらゆる入れ物に水を溜める。
歩いて20分くらいかけて近所のスーパーを偵察。
人が入り口に向かって並んでいる。結構な人数。
お店の中はグチャグチャだったらしく(店員さんとお友だち)、中には入れないため、売れそうな物だけを入り口に持ってきて売ってくれるって感じ。ほしいものを叫ばなくちゃいけなくて、店員さんも大変そうであんまり頼めなかった。とりあえず、軽くて保存できる食べ物をゲット。
それから、道路を挟んで向かいにある薬局スーパーへ。そこも列・列・列。でも、お義兄さんが言ってみようと言ったので行ってみる事に。
並んで待っている間、店内をのぞいたりしてたんだけど、天井に穴が!!剥がれ落ちてる!!あっちもこっちも壊れて、地震のすごさを物語っていた。
店内へ入れてグルグル回れたけど、途中でかなり大きな余震が!!
その時、ペットボトルがいっぱい並んでいるところに立っていたから本当に怖かった~。ペットボトルが迫ってきて子供達も泣きそうに。私だって怖かったよ・・・。
そして、会計を済ませてまたトボトボ歩いてお家へ。途中、コンビニの公衆電話が使えるか確認したり・・・新幹線の線路の下をチェックしたり・・・ガソリン待ちで並んでいる車を横目に岐路に着き、暗くなる前にご飯。大人3人子ども3人でパスタ500gでナポリタンした!!みんなで食べるご飯は美味しい~って子供達飢えてるのか、ガツガツ食べてたなー。
夜、子供達が寝静まってから、男性軍は体が冷えると二人で体が温まる物を飲んでいました(笑)こんな形ではあったけど、久々に兄弟一緒になったんだから、ちょっとくらい楽しいことあってもいいのかな・・・って思ってOK出しちゃいました。私は・・・お水でしたよ。
12日は、訪問客もありました。旦那さんのお友だちと私のお友だち。
私なんて、そのお友だちと抱き合って「よかったね、よかったね」って連呼しちゃったよ。でも、こんな時こそ、誰かと会って自分たちは生きてるんだって確認しあうのはいいな~って思った。
そして、夜中・・・布団に入ってから、旦那さんが突然。
「んっ!!!!!!」
と大きな声を出した。何?と思ったら。
「電気点いた!!!!!」
えー?うっそー?なんで分かるの?と思ったら、旦那さん起き上がって冷蔵庫を開けた。
「ほらね。」
本当に点いていた。ブラボー、よしり~な!!
でもね、今回の停電・・・電気がないと本当に静かなんだなってことがよーくわかった。それに慣れてきていたのに、電気の音に気がつかなかった私。耳おかしいのかも。耳の中雑音だらけなのかもね・・・・・。
この日は、電気が点いた安堵もつかの間。お次は断水。明日からどう乗り切ろうか、そればかり考えていたような気がする。
昔の人はすごいな・・・って考えたり、今の世の中、便利すぎるんだなって考えたり・・・これくらい(断水だけ)のことで弱っちーな、私って思ったり。
電気がなくても、水が出なくても、やろうと思えばやるべきことは見えてくるはずなのに、電気がないから、水が出ないからって理由を並べてダラダラしちゃってダメだーって思ったり。
携帯も使えないから、頭の中だけいっぱいいっぱいになって、若干パニくっていたのも事実。
でも、13日からは、少し思考を切り変えて、行動し始めた。
その模様は、また次に。