コリント人への第一の手紙第3
「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。 もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。 」
神の民は神の宮だからこそ尊い。
その人に宿った神を感じようとするから、共に神を中心とした心からの交流ができる。
人をこの世的に愛そうとすると、授受作用に無理が出てくる。
自らの良心に神を感じて神様の前に恥じないこころを持って、はじめて人に宿る神を感じ、お互いの神性をのばせる真実なこころの交流ができる。
神を愛するのか、神を除いた人そのものを愛するのか、カネを愛するのか、それが正されていないでは、ぎこちない交流しかできない。
誰も寄りつかなくなった統一教会でよく言ってる「人が来ないから愛し合って、人が来たくなる雰囲気をつくろう」とかいうのとは、そもそも次元が違うのである。
組織維持とか、実績のため、などという自己中心的な動機が正されない限り、真の愛で愛することはできない。
そういう指導しかできない組織は「神の宮を破壊」しているのだから、死に絶えるしかない。これは宗教だけの問題ではなく、会社なども同じだ。
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