子宮内膜症を乗り越えて妊娠。妊娠後期に妊娠高血圧に。33週6日で極低出生体重児の娘を出産。熱性痙攣、鼠経ヘルニア、アレルギー色々あったけど元気!HSS型HSPの私とHSCの娘、夫と三人家族。娘も私も一人っ子。好きなこと、できることで楽しく生きる。
人にものをあげる時に二種類あるな。と思う。ひとつは、自分が使ったり、食べたりしたことがあるもので自分のお墨付きでおすすめできるもの。もうひとつは、自分には不要なもの。気に入らなかったもの。自分が気に入らなくてももらう方は気にいるかもしれないけど…。やっぱり、前者と後者では渡すエネルギー的なものが違うよなーと思う。たまには後者もあるけど、なるべく前者で人にものを贈りたいなと思う
小学校で着るスクール水着じゃない水着が欲しいと言い出したあららひめ。パパと下見に行って気に入ったのがあったみたい。「ファイナルセールだったんだよ」パパと二人のときは服は買わないことにしているらしく、報告してきました私も、プールに遊びに行く用にあってもいいかなー、来年も着れるサイズ買えばいいし、今買えば安く買えるし!と思って、私と水着を買いに行くことに。買い物した帰り私が「安く買えてよかったわー。」って2回くらい(無意識に)笑言ってたみたいであららひめが「値段のことばっか言って!セールで気に入ったものが買えてよかった!でしょ?」確かに!そっちの方がなんか、いい感じラッキー感が強いっていうか、お金に支配されてない感じ笑笑あららひめ〜。さすがだぁねぇ。
もうだいぶ海外旅行に行ってないけどまるで、その店はインドそのものだった。外観からもうここはインド?バラックのような建物の中は、エアコンの効きも良くなくて😅蒸し暑い。窓側の席が空いていたから座ったらインド人の店員さんが、お冷を運びながらその席は暑いから、こっち。っていってエアコンの真ん前に案内してくれた。上を見上げれば雨漏りしそうな、つぎはぎの天井。荷物だしたまま、投げてある段ボール。食材が無造作におかれている棚。インド人女性が描かれて絵が何枚か飾ってあるけど、なんだかいい感じに傾いている😅インド時間であろうパソコンのモニターに映し出されるインドの景色。とても清潔、きれいとは言えない店内だけどすごーくよかった。来てよかった。物価高のなか、サラダつき、飲み物つきのカレーセットが1000円。大盛りのインド米のライスとともに頼んだオクラカレーがきた。オクラもこれでもかとばかりたっぷり入っている。美味しい。ホットのチャイを頼んだんだけど、インド人店主が持ってきた砂糖は使い方のシュガースティックも入ってて。でも、なんだか、それさえ、このお店は、なんかいい。と思わせる。転がってる段ボールも雑然としている棚も曲がって掛けられている絵も。誰かがあけて、先っぽが折りまげられてあるシュガースティックも。なんか、いい。愛想がいいとは言えないけどあんなにたっぷり、カレーもご飯も出してくれているのに、当たり前のように「おかわりは?」って聞いてくる店主。この心地よい力が抜けた感じ。そのままな感じ。清潔に整えられた店内も料理もいいけど。ここは、ここですごくいい。余計なことも言わないけど伝わる優しさ。飾らない気取らない。ありのまま。そんなのがなんか、すごーくいいと思わせてくれる店。久しぶりの海外旅行気分を味わわせてもらった。また行くね。
勉強大嫌いあららひめ。かくいう私は勉強が逃げ場だったし勉強することか生きていく術だった。そんなもんぶっ壊してぶっ壊しておりゃー!そんなもんいらねーんだよーバーロー。とは、言わないけどそんな勢いであららひめが勉強することに抵抗してくる。何が正解だか何が良いお母さんの正解だかぜんっぜん分かんねー。けっ。って言いたくなるよねぇあららひめが自主学習で書く物語が面白い🤣毎日、寝る前に絵本を読んでもらうことを日課にしているあららひめ。毎日1時間のYouTubeもあららひめの大事な息抜きでストレス解消。絵本やYouTubeで見聞きして自分が好きな動物が、あららひめが興味がある国を世界中、旅する物語。永遠終わらないんだけど笑笑端々に今まで積み上げたものがアウトプットされていて感心する。自由に自由に人生も描いて欲しいなぁ。
あららひめもうすぐ一年に一回の大学病院の受診日。8年前、1,254gで産まれた小さな赤ちゃん。無事、生まれてきてくれただけでも奇跡、感謝なのに、無事育ってくれただけで毎日が奇跡なのにここまでずっと奇跡の連続なのに。八歳になった今、あれもできない、これもできてないなーんて多くを望んでいる自分に気がついたとき。その度、あの時の気持ちにたちかえりたい。そう思う。もっとあららひめを信じていいんだよなー。大丈夫なんだよ。どうせ絶対大丈夫なんだから心配しなくていいんだよ。
いらっとしたときもやっとするとき。少し前までは人に対して怒りがわいてどうしようもなくなったり、それをすぎると自分が悪かったと自分を責めすぎたり。してた。あららひめ、お絵描きが好きな従姉妹のお姉ちゃんの真似をしてタブレット用のお絵描きペンを誕生日プレゼントでもらいました。お絵描きは小学校にあがってから女の子の絵をよく描くようになってずいぶん上手になってきてたんだけど。イラスト教室に通いたいって言い出して。あららひめ、勉強得意じゃないし体育も苦手だし、少しでも自信をもって欲しいという思いもあって、イラスト教室に体験しに行きました。結論からいうと、イラストを描くことへのあららひめの情熱はそこまでなく😓入会は見送り。やってみたいと思ったから通えるなら通いたいくらいのテンション…。イラスト教室の先生も、あららひめのイラストへの情熱?の薄さは感じとれたんじゃないかなぁ。やりたいっていうから、2回にわたって連れて行ったのに、そのわりに家ではYouTubeやゲームばっかりやってイラストなんて全然その後も描こうともしない。私からみても、とてもイラストを習いたい子には全く見えない。イラスト教室に連れていくのに、送迎もあるし、時間もお金もかかるし、親としても通わせるのは覚悟が必要。それをこっちは覚悟して連れて行くのに本人はのらりくらりとやる気あるんだかないんだか💢そんな生半可な気持ちではイラスト教室には通わせられないよって怒りながら、言ってしまった。。その後も私のイライラは収まらず…。勉強もスポーツもできないから好きなことが少し人より上手くできたら自信に繋がるんじゃ…。なんて考えてたのが、あららひめにはそんな努力する姿勢も情熱も感じられず勝手に裏切られた。みたいな気になった結局、私はあららひめに自分のフラストレーションを投影してただけ。あららひめは、やりたいからやりたいって言った。連れてってくれるっていうから、連れて行ってもらった。やらせてもらえるなら、まぁ、やってみようかな。くらいのテンションだっただけでなんら悪いところはない。それを勝手に私が、バウンダリーを超えてあららひめに期待した。人よりできるようになるかも、自慢できることが見つかるかもって。私の自信のなさをあららひめに投影して思い通りにならなかったから、イライラして怒る。気がつけば、このパターン。多いよね投影に気がついても、前のようには自分は責めない。過去に傷ついた自分がいるから。気がつき、抱きしめる。あららひめに、怒りながらの言い方はよくなかったとは思う。これは気をつけよ。でも、なんでもかんでも言いなりにやらせるのもなんか違うと思うから、今回はこれでよかったと思う。外に感情を煽られたら、矢印内側。投影に気がついた瞬間、外への怒りは内への光にかわる。これの繰り返しかな。
最近、給食の前後くらいの時間帯になると、頭が痛くなったりお腹が痛くなったりするあららひめ。年があけてから何回か学校から連絡があり、お迎えに行っていました。でも・・・帰って来るととっても元気え?メンタルかなーと思って話しを聞いてEFTタッピングしたり、先生にも協力してもらってお友だちとの間の話しを聞いてもらったりしました。すっきりして学校に行くようにはなったんだけど、また。学校から電話おーっと今度はなんだい?9割メンタルだろうとは思っていても子どもって本当に具合悪くてっていうパターンももちろんあるから(;^_^A迎えに行ってきました。帰ってきて話しを聞くとお友だちとの間で何かあったとかでもなく自分でもどうしてこうなるのか分からない。保健室にばっかり行くのも嫌なのに。。っていう。ほー。そうか。そうなのか。ちょっと、ものは試しでフォーカシングしてみようかなわたし「ママさあ。魔法使いじゃん?」(夜、あららひめが寝た後、小さくなってあららひめの顔の上で遊んでいると言っています)→いやどんな魔法使いw「ママ、あららのお腹(お腹痛いって言ってたから)とお話しできるんだけど、お話ししてみていい?」「え?なにそれ?」って言いながらも許可がおりたのでフォーカシングしてみることに。結果、せっかくここに来たのにでたくない寂しい悲しいそんな思いがあるということが分かりました。なーるほど。二年生でクラス替えあるから環境の変化に反応していたのかもね。そうだろうとは思っていたがやはりそうだったか。私に言えなかったのか言葉にできないモヤモヤだったのか分からないけど原因が分かってよかったねってことで、EFTタッピングも組み合わせてみました。ちょっとすっきりしてきたって言うんで、「はい。お好きなYouTubeをどうぞ」絶好調でYouTube鑑賞を始めましたその後、習い事のチアにも行き何事もなかったかのように今日も学校に行きましたとさ。学校で楽しく過ごせてるといいなぁどーでもいいんだけどさ、あららひめ、具合悪くても「給食は食べていきます(キリッ)」って言うみたいで。私が給食だけは食べて来いってあららひめに言ってるように先生に思われてるかもねw
あららひめがある日突然。わかった!わたしたちの人生ってさ人それぞれの物語(ストーリー)なんだね。って。七歳にして…。どうなってんだい。わたしゃ44歳でやっと気がついたっつうのに
儚くも愛おしいこの世界。
そう。まさに。柳の木。のような生き方。しなやかで、力強い。柔軟でいて、芯がある。私がこれから目指したい生き方は柳の木。がお手本。
公園でぼーっと空をみたり木をみたり。晴れてて、時間があけば公園にばっかり行っている笑笑何もしないで頬をなでる風を感じたり木に触れてみたり。この時間がものっすごく心地いい。目を閉じると自分が透明になる感じ。最近、空や自然の美しさに圧倒される瞬間がものすごく増えてきた。ふと、公園の向こう側を歩く親子に目がとまった。若いママが二歳くらいの男の子と歩いている。ママは犬を連れながら、携帯を見ながら歩いている。その後ろを、二歳くらいの男の子がトコトコ着いて歩いている。なんでもない、よくある光景なんだけど、あぁ。なんてもったいない!というか、私もそうだったし、今もまだ、それやってるよな。携帯をやめて、振り返れば我が子のほんの一瞬のかわいいかわいい瞬間が待っているのに。そちらに目もくれず携帯に釘付けになる。子どもが小さいのは人生のほんの一瞬。携帯の中の情報よりも、ずっと尊い景色が広がっているのに。なーんて思ったけど、あのママの一瞬でしかないけどね。切り取って自分に重ねてしまった。携帯、便利だけどね。大切な時間を見事に奪ってくれるよね。なーんて思うよね。きをつけよう。
あららひめ一年生。半分終わりました。引っ越してきて全然知り合いのいない中毎日、嫌がらずに学校に行ってくれた。本当にそれだけで百点満点。正直、毎日行けるか私が勝手に自信なかったから(あららひめには失礼な話だ)本当、それだけであららひめはよく頑張ったって思う。勉強も入学まで全く手を付けずだったし、夏休み前の個人懇談でもついていけるのか本気で心配していたけど!入学当初からの進歩は本当に本当に感動もの。あんなにできなかったのに!(いや、だから失礼だって)漢字まで書けるようになって算数も好きになってきてる!あいかわらず、宿題で分からないと癇癪起こすことはあるけど、でも。母、満足。そりゃ、できるほうではないかもしれないけど目標が低すぎると言われようが、思われようが全然関係ない。夏休み前は、あららひめの目標じゃなくて一般的な一年生の目標にばかり目がいってて、目の前のあららひめに辛く当たってしまうこともあった。それを、あららひめの中の成長を見ることに集中できるようになったら私が周りの子と比べなくなったらあららひめの中の成長がくっきり見てとれ、感じられるようになりあららひめ自身も本当にぐっと伸びたと思うし、自信もついたように見える。ここでもまた、あららひめじゃなく先ず私、が先に変わることだったんだと気づかされる。あららひめ、いつもありがとう。
子どもと少しだけ関わる仕事を始めて3年目になる。勉強する場所だから、雑談って本当はあんまりしてはいけないんだけど。本当は子どもたちともっと話したい。この仕事を始めてからちょっとでも私と関わってくれる子たちの心に少しの光、明かりになる言葉や存在でありたいと思ってきた。子どもに関する資格を持っているわけでもなんでもない私。それでも、子どもの心に明かりを灯すことが少しでもできたら…学校帰りに来る子たち。学校であったたわいもないできごと家族の誰だれが今日誕生日でね‥指の皮が剥けて痛いの‥子どもたちのなんでもない話しを聞くのが大好き。手を止めて、その子の目をまっすぐにみて話しを聞く。「今日ね、ママの誕生日なの」「そうなの!おめでとうございます。じゃ今日、美味しいもの食べられるのかな?」気のきいた言葉はかけられないけど心からおめでとうと言葉を返す。子どもの目が輝く瞬間が分かる。そんなやりとりが最高に好き。こんなこと書いていると涙がとめどなく溢れるのは私のインナーチャイルドが一緒に泣いている。私が子どもの時、家族以外でほんの少し、甘えさせてくれる大人がいて欲しかった。いるだけで、ほっとできる大人が話をほんの少し聞いてくれるだけで満足というか、安心するというか。私は大人が嫌いな子どもで家族以外の大人に懐いた記憶がほとんどない。子どもと関わる仕事をして自分を癒していくうちに分かった。ずっと、子どものために目の前の子どもを笑顔にしたいと願ってきたけれど、私の中の小さな子どもの私がずっと待ってた。先ずは、私はわたしを救う。何度でも何度でも私はわたしに寄り添い、抱きしめる。
小1あららひめ。毎回、言い直しても「お笑い」のことを「おはらい」って言います。お笑いの人🟰おはらいの人って言います。お、わ、ら、いだよって教えてもその時はお笑いって言っててもまた、次の日にはおはらいって言ってる😂でもね、そっちが本当は正解なんじゃないかとも思う。お笑いって、色んな気持ちを笑いで祓ってくれる効果あるよね。お笑い🟰お祓いあららひめ、せいかーい◎✨
ポケコロツイン↓に激ハマりしているあららひめ。寝ても覚めてもポケコロツインの話してる・・・小学校から帰って来て、テキトーに宿題終わらせて(一年生だから、少ないし15分くらいで終わる)そこから私が声かけない限り永遠とポケコロツイン…。その日は習い事(身体動かす系)があって行く前にも1時間30分くらいゲームしてたのに、帰って来てからご飯が出るまでの間さえゲームしようとしてたらから「(苦手な)引き算でも少しやってからにしたら?」ってついイラっとしたのもあって言ったのよ。切れ気味に学習タブレットで始めたはいいけど「分かんない分かんない」怒り、泣き始めるあららひめいや、分からないような問題はやろうとしてなかったはず。「やる気ないならやらなくていいよ。」って言っても、それも嫌だって怒り泣き続けるけどやろうとはしない。「やらなくてもいいっていってもそれも嫌だっていうしやるのも嫌だって言うし、どうすればいい?」って聞いても「いやだ、いやだうお~ん」って泣いて怒って手がつけられない。感情にまかせて怒ったりし、、、かけたけど。待て、冷静に。観察。あららひめ、とっても悔しそう。オコッテル。ネ。あーなるほど。「ママが思いつきで突然、計算問題やったら?なんて言ったもんね。あららは帰ってからすぐにゲームをやろうという気持ちでいたところをママが突然、言い出してやらなきゃいけなくなって嫌だったんだね?」そりゃそうだ。私だってそうだ。楽しみが目の前にあって、突然思いつきでしたくもないことやれって言われたらいらっとするよね「ごめん、ママが悪かった。あららが楽しみにしていたのに突然の思いつきで言ったのは良くなかった。楽しみにしていたのに、悔しい気持ちになったよね?」って言ったら「うおーんうおーん」っと激しく泣き始めた。やっぱりそうだったんだね。。。『やりたくない』わけじゃなくて『今』やりたくなかった。だったんだね。一通り泣き終わったらいつものあららひめに戻りました。そんなやりとりがあったあと、夜中寝ている時に、何やら夢をみた。自分が父親になにか小言を言われている。「うるせぇっ」枕をたたいて、怒る自分の声で起きた今、私は突発性難聴で耳の聞こえが良くない。聞きたくない。サインなのかなー。母の愚痴ももう聞きたくないしそのせいかななんて思いながら耳の感覚に聞いては、タッピングで感情を解放したりしていた。ついに夢にでてきた。父親の小言。あぁこっちもか。タッピングするうちに最初の就職で失敗して次の就職先に就くときに父親が水面下でしていた根回しのことを思い出した。父親は私にとってよかれと思ってしたこと私にとっては一度就職で失敗している根回ししてもらったとこで、また失敗したら親に迷惑がかかるから余計なことはして欲しくなかった。私はこれを『分かってほしかった』この思いを父親は全く理解しようとせず自分がせっかくおまえのために動いたのにと怒りを私にぶつけた。境界線ごえも甚だしい。両者とも根底には「愛」があったはずなのに何かズレてしまっている。あの時の自分に会いにいく。分かって欲しかったね。分かってるよ、誰よりも私が分かってる。分かって欲しい人に分かってもらえないと辛いよね。辛かったね。もう大丈夫。何度でも何度でも傷ついた私を発見したら私は私に会いに行く。そして抱きしめる。近頃思う。なんて私のハイヤーは完璧な旅を私にさせてくれるんだろう。私が自分を癒したいと思えば、必ず現実に起きてきたことで気づきがあり、癒しがある。なんて完璧。
身体的虐待があったわけではないし、ネグレクトだったわけでもない。でも両親は仲が悪く、常に喧嘩していて、今思えば、家庭崩壊寸前だったんだと思う。なもので、私の発達性トラウマも結構根深いものがあり、セラピストさんに伴走してもらいながら自分でもEFTタッピングしたり。一見、人からみたら何にしていないように見えるけど。とにかく私は私なりに自分と精一杯向き合って半年ほど。途中辛くて、セラピーも辞めたくなったり先が見えなくて苦しくていつまで続ければいいんだと苛立つこともあった。他人との境界線が薄く、影響を受けやすかった。私はエンパスなんだと思っていた。エンパスなのかも、しれない。けど。今までないがしろにし続けてきた自分の感覚、自分は本当はどう思っているかどう感じているのか。これを、ひとつひとつ日常の小さな選択でも耳を傾けるようにしたら、だんだん「わたし」はどうしたいのかその都度、分かるようになってきた。これが自分軸なのか。な?周りがあーだこーだ押しの強い人に絶対そうだと言われたら、前の私は簡単にグラグラ、ぐらついていた。けど、最近面白いほどにぐらつかないのだ。受け流せる。そして、深刻にならない。っていうかなれない😂そして、我慢ももうできない😂😂まだ変化の途中でとまどいも多くて馴染まなくてこのままで大丈夫なのだろうか?と不安になることも多いけど。まぁ、大丈夫なんじゃない?ほら😂深刻になれないのよ笑笑
ある日のあららひめとの会話。あららひめ「小学校のね、生徒代表は先生の都合で決まるんだよ」先生の都合…。笑笑大人の都合ってこと確かに確かに
あなたは地球に何をしにやってきたの?本当の望みはなに?問いかけにみんなに賞賛される大成功をおさめて、たくさんの人たちに囲まれてたくさんのファンがいてたくさん稼いで、なんでも好きなもの買えていい家に住んで。。。考えてみたけど、なんとなく違和感。もちろん、人間だものそんな体験も、してみたい。今日、寝る前にあららひめが「三人でサンドイッチしよう」て言ってきて「パパ、あと4回ごろごろしてあららのとこきて」「ママ、あららにぎゅーして」夫とあららひめをはさんでぎゅーっとして手を繋ぐ。真ん中のあららひめがかわいい声で「サンドイッチ♪サンドイッチ♪ぎゅっぎゅぎゅ~♪」って歌う。甘やかな声と柔らかな背中にふれながら繋ぐ夫の武骨な手。あぁ。これだ。なんの揺らぎもないなんの曇りもない私だけの幸せ。心からの幸せ。誰にも分からない私にしか分からないそして揺るぎない幸せ。私はこの感情のために生きている。だれのものでもない私の幸せ。誰からの評価では決まらない私の中から溢れる幸せ。ハートの感覚にじんわり浸る。あぁ。幸せ、幸せ。
一年生あららひめ。学校は楽しいらしい。先生もフレッシュな女性の先生でとても一所懸命。あららひめも担任の先生大好きよかったねしかーし。あららひめ、どーも脳内が宇宙人お勉強がねぇ。ちょっと苦戦気味あー。地球きて浅いもんねーそれ仕方ないわ。っていう会話が日常的にできる世界ではまだないしね一年生で苦戦気味っていうのはやっぱなにかしら…きっとあるんだわねぇ。って私的には思うところがあるんだけど、夫は気にするほどじゃないっていうが。うーん。この感じる違和感は気のせいだろうか。〇〇障がいだから…って逃げるわけではないけれどあららひめにとって一般的なやり方が合わないなら、合うやり方を早く探してあげたいと私なんかは思うわけだけど。なにせ第一子で一人っ子。親も初心者マークなわけで。あららひめにとって学校のお勉強は『つまらないもの』じゃなくてあららひめがやりたいことの実現のために必要な地球を遊ぶための道具だよ。分かってくれる日がくるといいなぁ…なんて思うけど、どうなんだろ
なんでトラウマを癒すことに辿り着けたか。まったくもって謎だけど、完璧な采配を感じるのも事実。ある方に伴走をお願いして絶賛トラウマ癒し中の私。回を重ねるごとに、その小さくて大きな自分の変化に驚く。生きづらさ。それは本人にしか分からない感覚で対処法が分かればとっくにやってるけどそんなニッチな対処法ないよ。っていうレベルの日常の困り感。生きづらさ。人と会った日は興奮気味で夜なかなか寝付けない車の車線変更が怖い、というか車の運転が怖い良いことも悪いことも人から影響を受けすぎるPTA参観が嫌すぎるヤンキーみたいな威圧感がある人が大嫌い近くにいるだけで嫌で嫌で嫌で…脇汗かく。っていうかそもそも世の中、怖いことだらけこの困り感。ずいぶんと楽になってきているのだから不思議で仕方がないけど、投影と考えれば当たり前のことかそして内側が変わると外側で起きる事象も変わっていく。トラウマは確かにものすごいエネルギーを持っている。癒していく過程でも、トラウマが刺激され何度も、揺さぶられ苦しくて、何度も泣いたり、怒りに震えたりしかもセットで体調を崩すことも多くて。これは私自身の準備ができてないとできなかった偉業(自分の中で)だと思う。だから、2024年の今、なんだな~。がっちがちに自分を縛っていてものすごい硬さと強さを持っているそのエネルギーは、自分でも見えない奥底にしまいこんでいてなにかが「ある」のは分かるけど「なんなのか」が分からない。その正体を知るには時間もエネルギーも必要だった。そこにあったのは怖いだけだと思ったトラウマの正体はものすごく深い、ものすごく強いなんの見返りもみない愛そのものだった。愛する人を命がけで守ろうとする5歳の私。全力を振り絞って、汗ぐっしょりになりながら殺されるかもしれない、そう思いながらも立ち向かう5歳の私がそこにいた。こんなにも強い魂だった。こんなにも果敢に立ち向かっていた。残ったトラウマ、潜在意識の声はその時の記憶を忠実に教えてくれていた。「私は無力だ」「私は守れなかった」ぎゅっと記憶ごと閉じ込めた。ただただ、あの時の私を抱きしめる。「強い子だね。よく耐えたね。もう大丈夫だからね。」何度でも何度でも抱きしめて声をかける。一緒に泣く。「よく頑張ったね。よく生きてくれたね。」また私が映し出す景色が変わり始める。ゆっくり少しずつ、着実に。