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ぴーやんのブログ

日々の出来事や読んだ本の感想などを気が向いた時に更新してます。
自分史も始めてみました。

 

今まで生活してきた過去の住居でも初めて西側に大きな窓が

ある自分の部屋。大きなマンションもなく、夕陽が沈んでいくのを

見れる今の環境が好きだ。1日の終わりと人生の終盤であることを

実感させてくれる。

 

アライ家は系譜があるわけではないので詳しくはわからないのだが、

祖父が祖母の家に養子として入籍してアライ姓になったと聞いている。

祖父には子供が5人いたそうだが、2人は夭折しているので、実際は

私の父を長男として長女の叔母、次男の叔父の実際は3人兄弟だ。

叔父の長男は事故で亡くなってしまったので、実質アライ姓を

名乗っているのは私だけなので、祖父から数えて3代で家系は

途切れることになる。

 

そういう意味でも窓から見える夕陽が象徴的で儚い。

年末に向けて皆さんがバタバタしている中、比較的マイペースな

日々を過ごさせていただいております。月の半分は私か妻の通院で

潰れてはいますが。先日、元町神戸大丸の近くに新しくできた

ラーメン屋「駄目な隣人」さんへ妻とお邪魔しました。

スープはブイヨンベースに生姜がほんのりと香る溜まりとの

ブレンドで、しっかり味はしているけど、しつこくないスープ

でした。左はすき焼きご飯でこれも美味しかったです。

 

11月の読書は

「本物の医学への招待」 北原 大翔   読了

シカゴ大の心臓外科医の医師としてのあるある本。

知らないことが多く面白く読めた。

やはりドラマの手術室の演出と現実の間の違いがわかって

面白かった。

 

「宇宙線のひみつ」   藤井 俊博   読了

昔の宇宙の本はそれなりに地上から見えているものを

実際に見えているものこうなのだよという、まだわかりやすい

本が多かったが、最近はやはり素粒子であったり量子論で

あったりと学校では習っていない範囲のことが多く、理解

しにくくなってきている。

 

「消滅危機世界遺産」  ペーテル・エークハウト著, 金丸啓子訳

                    読了

世界にいくつも登録されている世界遺産の多くはいろいろな要因で

消滅の危機を迎えている。都市化による開発、観光客による損害

(観光そのものと観光客を当てにした地元民の出店による汚染)

温暖化による水位の上昇。紛争地域による信教の違いによる破壊、

数え上げればキリがない。一方的に善悪は決めれないのが、

悲しい現実だ。

 

「お江戸は痛快」

「お江戸の信長」

「お江戸の姫様」    高橋三千綱     読了

大好きな高橋三千綱の時代もの「右京之介」シリーズ。

純粋に面白く楽しめた。

 

「作家がガンになって試みたこと」 高橋三千綱 読了

惜しくも亡くなられてしまったが、冷静に作家としてガンと

そして医療について納得するまで向き合った話として、

感銘を受けた。

 

「酒気帯び車椅子」   中島らも     読了

遺稿となってしまった本作。面白く(内心悲しく)

読めた一冊。アルコールに浸りながら復讐を企む

主人公には本人の経験もすごく入っているが、

全体的に前半部分と後半のクライマックス部分の

熱量に差を感じてしまい。まだ本人としては書き込み

たかった部分があるのではと感じられた。

 

「出雲族の声なき絶叫」  朴炳植     読了

イズモとヤマトの関係については色々と本を読んでも

違和感があるため手に取ってみた一冊なのだが、

旧朝鮮語と日本語のつながりなどを比較するところは

面白く読んだのだが、その根拠として列挙されている

書籍に、謂わゆる「トンデモ本」と言われる公式な

歴史書からは除外されているものを参考にしているのを

みて、一気に興味が冷めてしまった。残念だ。

 

 

 

 私が生まれたのは西宮市越水町。家の前には旧西国街道が通り、目の前に「越水城址」の碑があった。

今ではこの碑は近くの大社小学校に移設されているようだ。

写真は0歳児の私。

少し成長して3歳くらいの頃の私。自宅前にて。

後ろには父の二代目の車(一代目はスバル360)マツダ キャロル360が写っている。

家の周りは自動車が1台通ればいいぐらいの細い道ばかり。

近くに遊び場がないため、近所の子供達と道路で「ゴム飛び」や

「ケンパー」をしたりして遊んでいた。

また、越水城には3ヶ所の井戸があったといい、昔から渇水の時でも枯れなかったと言われる。

今でも残っているようで、井戸というよりは湧き水に近い。

(阪神大震災時にも活用されたそうだ。)

これは、今でも残っている井戸。扉などなく掛け流し状態だった。

私の家が使っていた井戸はすでにマンションで潰されていたが、

夏場にはスイカやヤカンに入れた麦茶などを近所の人たちが共同で

冷やしていた。また、子どもたちにとっては遊び疲れて水分補給するための

憩い場だった。

 

 

自分史の第1回目は私自身の生まれるきっかけから話してみよう。

 

父は大正14年京都山科にて帝国陸軍軍医の長男として生まれる。

小学校高学年時に病気による高熱で両下肢麻痺となる。

そのため、中学には行かず仕立て屋に丁稚奉公に出される。

その後紳士服の仕立て屋として独立。

 

祖父の戦地から父への絵葉書

「要塞 第二堡塁則防 ウラジオ」とある。

 

母は昭和2年奈良県吉野郡天川村洞川の修験者のための宿に

長女として生まれる。出産時の産婆の処置がまずく腰椎に

障害を持つ。

 

二人がどうして信仰の道に入って行ったのかは確認していないので

わからないが、それぞれが通っていたプロテスタント協会の縁で

結婚

 

昭和39年に私が誕生した。(西宮にて)

秋も深まりつつある、とある日。

自分史を残しておこうと思いました。

 

きっかけは今年起こった数々のこと。

義父の死

妻の乳がん

娘の結婚

 

時間はどんどん前へと進んでいます。

精神科の薬が多く出ていた時は本当に傷病前後の記憶しか

なくて、昔の記憶が思い出そうとしても出てきませんでした。

今は症状が良くなってきているのか、昔のことをよく思い出します。

誰も見てもらわくてもいいけど。

昔は日記という伝達方法があって、運が良ければ家族、親族に

記録を引き継ぐ方法がありましたが、

今は、確率が良ければそれ以上の人たちに昔はどうだったか

残せる気がするのです。

それは、個人的な見方だですけど何かの役に立つかもしれない

と思うので、ポツポツ話していこうと思います。