中学生の頃のテニス部の思い出は色々あります。
まずは、しんどかったトレーニング。
腹筋、腕立ては毎日300回以上はしてたのではないでしょうか。
加えて二人1組でおんぶしながら後者の階段昇り降り。組むパートーナーはランダムだから、自分より体の大きい人と組むと地獄。
当時は40キロ台前半だったと思うので、大抵の場合不利でした。
一番嫌だったのは電気椅子。壁を背にして人間椅子の格好で並んで端から一人10カウントして一往復。入部したての人数の多いときは終わりが見えなくて時間の経つのが遅く感じました。
コートに入れるようになっても(コートは自分たちの台で作ったのは前のブログにも書いた通り)球拾いばかり。たまたまコートの横にフェンスを挟んで薮があり、先輩の打ったたまがそこに入ると見つかるまでコートに戻れず悲しかったです。
一度はえのきち君と二人で部活が終わった後もボール探しをしてて、あまりの悔しさに「⚪︎⚪︎のボケー」と怒鳴ったら帰宅中のその先輩に聞こえたみたいで「なんやー、ぴーやん」と声を返された時にはもう終わったなと思いました。
軟式テニス(敢えてソフトテニスとは言いません)はダブルスだけなので、二人1組でペアを組みます。守備は前衛と後衛に分かれるので、先生が実践練習などの結果を見て、前衛の1番手と後衛の1番手という風に上から順番にペアを決めていきます。(時々入れ替え戦あり)
そしてペアが出来上がった上で上位3ペアが団体戦出場メンバーとなります。(個人戦は全ペアが出れます)
ウチのクラブでは1、2番手は不動のメンバーだったので、3番手を前衛は私とムカイ君、後衛をえのきち君、セイシ君で争ってました。ある時、隣の大社中学と練習試合をすることになり、団体戦メンバーを決めるテストがあり、なんとか3番手になることが出来たのですが、明日が練習試合という日に祖母が亡くなり出場できなくて悔しい思いをしたことがあります。
また、ある市内大会でのこと、個人戦出場チームが全チーム1回戦突破できなければ全員丸坊と先生が突然言い出し、望んだ試合で珍しく私のペア(こと時はセイシ)の前まで全員が勝ち上がっていたのに、最後の1チームとなったプレッシャーからか敗北してしまい、本当に全員丸坊主(確か2枚刈りやったと記憶)は恥ずかしかったです。今では野球部でも坊主の選手は少なくなってきましたが、当時は坊主頭と言えば野球部ぐらいしかいなかった上に、自分たちのせいで連帯責任を取らされたのは中学での一番の汚点です。
あと記憶に残っているのは、練習中は水分摂取厳禁だったこと。夏など部活が終わってからピロティーの陰に入って、家から冷やしてきた麦茶をみんなで飲むのが懐かしい記憶です。
ウチの中学では毎年冬にマラソン大会があるのですが、上位の選手はやはり陸上部、野球部、サッカー部などが締めます。全クラス10クラスの内の男子なので200名はいます。そのマラソン大会で3年生の時に13位になったことがあって、それが軟庭では1番の成績だったのも今はいい思い出です。
