約30年前の「つばさ」と「マダン企画」 | 劇団アランサムセ

劇団アランサムセ

1988年に6月に結成された、在日コリアンの劇団です。
主に新宿タイニイアリスで公演しています。

「날개(つばさ)」のフライヤーに、日韓の演劇界で大活躍されている新宿梁山泊代表 金守珍氏のコメントを掲載させていただきました。

そこに、氏が1984年マダン企画「つばさ」演出とあるのですが、その時のこと、「マダン企画」のことを話させていただきたいと思います。

 

「マダン企画」とは、故南相赫先生(元朝鮮大学校教員、私の朝大入学当時の演劇部の顧問でした。)が、プロとアマ、所属団体や政治的立場の垣根を越えて演劇を愛する在日同胞が集まって一つの舞台を創ろうという主旨の元に、大学退職後に立ち上げた企画制作集団です。

これは後で知ったことですが、先生は当時日本の演劇界で活躍していた状況劇場の金守珍氏や黒テントの故金久美子氏、鄭義信氏をはじめとする在日同胞演劇人を訪ね歩き、「マダン企画」の主旨を説明し賛同を得られていたということです。

そして、1984年の第一回公演に選ばれたのが、1972年の南北共同声明に触発されて書かれた韓国の戯曲「つばさ」(1973年発表)だったのです。

(劇場はアランサムセがお世話になった新宿2丁目のタイニイアリスの、3丁目時代でした。これも縁なのでしょう。)

当時朝鮮大学校の研究院生だった私は日本語字幕担当でした。(スライドで舞台横の白布に映す時代でした。)

当初は「監修」的な立場で関わることになっていた(という記憶です。)

金守珍氏が、私が観ていても全くはかどらない稽古の途中から颯爽と現れて(まさに颯爽でした。)

テキパキと、いや電光石火の演出をほどこし、あれよあれよという間に作品を立ち上がらせていく様を間近にみて、「すげえ」と感嘆した記憶がよみがえります。

 

それ以来の「つばさ」上演。

南北共同声明の理念に則り「マダン企画」を立ち上げた南相赫先生の想いは、混乱を極める今こそ有効かつ必要であろうと確信します。

1973年の戯曲、1984年の舞台をなぞるのではなく、この時代を生きるアランサムセにいかに引っ張り込むことができるか。

かなりの力業に挑戦真っ最中です。