清盛の誕生―平氏が力を伸ばしてきた

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解説 清盛は伊勢平氏の棟梁、平忠盛の長男として生まれた。母のことは詳しく分かっていない。幼い時に死に別れ継母の池禅尼に育てられた。父忠盛は朝廷の信任が厚く武家としてはじめて昇殿を許された。それを妬んで意地悪ヲした公家を知恵で負かしたという逸話が伝えられている。清盛は武勇にたけ知恵もあった父のもとですくすく育ち12歳のときに従五位下佐兵衛佐の官職についた。この異例の出世から白河上皇のご落胤という話もある。

猫式部コメント 
この作品の元の原画は「春日権現験記絵」でそのほんの一部分でございます。白河上皇の春日御幸の場面で、牛車から降りようとするのが白河上皇です。左手に公卿、右手に随身(ずいじん)や武官が供奉しております。清盛の祖父の平正盛や父の忠盛はこのようにして仕えたのでしょう。
渋くてすてきな中井・忠盛さま―ところで皆さまはNHKの大河ドラマ「平清盛」をご覧になってみえますか。
松山・清盛は若々しく野性味があってこれからが楽しみです。伊東四朗・白河上皇ははまりすぎて、白河上皇といえばあのイメージから抜け出せないのでは。
わたくしは個人的には中井喜一さまの忠盛像にぞっこんです。中井さまの演技からにじみ出る滋味とやさしさ、哀愁が、忠盛という人はかくあったであろうとかんじさせます。
ある本に、他人に厳しい藤原頼長が「台記」の中で忠盛は富と武威を兼ね備えすごい人脈を持っているが、決して奢らず贅沢もせず、亡くなった時皆が惜しんだ と大変褒めているそうです。中井・忠盛さまにぴったりではありませんか。
・清盛の生年月日―この時代の人物で正確な生年月日が分かることは少ないそうです。でも藤原道家という公卿の日記「玉蘂」(ぎょくずい)に「清盛公は、正月18日の誕生である」と書いてあるそうです。つまり1181年1月18日がバースデイです。時代を動かす一大英雄の誕生でございます。




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猫式部のコメント・・・久しぶりの「あらくさ通信」でございます。先回ご紹介いたしましたように、「清盛絵巻」は清盛の生涯と業績に沿った内容になっております。7枚の絵柄をご覧くださいませ。
 これらの作品は伊勢型紙で丹念に骨格・輪郭を彫りさまざまな和紙で彩色をしたものでございます。
広島・にしき堂カレンダー 「伊勢型紙 清盛絵巻」
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猫式部口上 今年の大河ドラマ「平清盛」が始まりました。どんな新しい清盛像が描かれるか楽しみでございます。
ところで、もみじ饅頭で有名な広島・にしき堂さんからのご依頼で、わが制作者Nとその仲間たちが上記のようなカレンダーを制作いたしましたの。
 表紙と2カ月に1枚の絵 全部で7枚の作品です。「清盛絵巻」と題して、1・2月は父忠盛に代表される武士の台頭、3・4月は高平太時代の清盛、5,6月は清盛の地位を確実なものにした六条河原の戦い、7・8月は瀬戸の音戸の日招き、9・10月は清盛が社殿造営や平家納経に情熱を傾けた厳島神社、11・12月は先見性の象徴 日宋貿易の宋船など清盛の躍動的な生涯をたどる構成になっております。
 そこでわたくし猫式部が1枚ずつこのブログでご紹介申し上げたく存じます。どうぞ最後の12月までご覧いただけたらどんなにか嬉しいことでしょう。

表紙の絵 「平治物語絵巻」(一部
 「平治の乱」は1159年後白河院の近臣の藤原信頼と信西の対立から起こり、清盛が収めました。清盛はこれによって武士の棟梁の地位を確固たるものにしますの場面は藤原信頼・源義朝らが後白河院の御所 三条殿を襲って火を放ち、その報せに駆けつける関白、大臣、公卿、殿上人、武士、下人らの大群衆を描いています。
 「平治物語絵巻」は鎌倉時代の作品で、合戦絵巻中の最高傑作と言われますが、原画はボストン美術館の所蔵です。