5月21日の長篠・設楽原ウォーキングの最終稿です。
このブログの続きです。
ずいぶんと前回の記事から間が空いてしまいましたので、コース概要を再度アップします。
ウォーキング コース
前回の記事では勝頼が本陣を置いた医王寺を後にしてこんたく長篠を通過、
道の駅「もっくる新城」へ向かい歩いています。
こんたく長篠から道の駅「もっくる新城」まではこのコースでは最長場です。
最長場と言っても高々2.5㎞、辺りをきょろきょろしていればすぐです。
コマツナギを発見。今年初見でした。
ノアザミ。
お茶畑です。
機械で摘むんですね。
当たり前と言えばそうなんですが、初めて見る光景でした。
一番茶の摘み取りが終わり、次の芽が伸びてくるんだろうなぁ~。
道の駅 「もっくる新城」に到着。
「もっくる」って何だろう?
道の駅
五平餅を食べようと思ったが列が長く止めました。
長篠の観光案内。
道の駅には観光案内がいっぱい。
やはり家康もいました。
奥三河の観光情報マップ
おいでん奥三河 三河弁が懐かしい。
それにしても奥三河って懐深い感じがしますね。ほとんどが未踏の地です。
ここでウォーキングの主催者が行先表示の撤去を始めました。
どうもここまでのんびりし過ぎたようでした。
このままではゴールに間に合わないギヤチェンジしました。
大急ぎで首洗いの池まで。
もうすぐ決戦の地 設楽原です。
信玄塚の横を通り決戦場へ。
信玄塚の謂れは下記説明板をご覧ください。
新城市設楽原歴史資料館
馬防柵がありました。
こちらは資料館の説明用のもので決戦場に設置された馬防柵はもっと先にあります。
ゴールを急がなくてはと決戦の場所に向かいます。
決戦の地です。
右手から武田の騎馬隊が攻め込み、三段の馬防柵の内側から織田・徳川連合軍が3000丁の鉄砲で迎え撃ったその後の歴史を変えた一戦と言われています。
前線に近いところに家康の本陣が、信長は後方に本陣を構えました。
馬防柵。
近くまで行きたかったのですが、ゴールが迫っておりすぐに退散しました。
前線の家康本陣から近く物見した高台からの景色。
今は民家と水田が広がっていました。
水田では田植えの最中でした。
田植え機で植え付けた苗の抜けたところを手植えしているようでした。
なぜか民家にはセッコクが目立ちました。
ゴール間近の飯田線踏切。
めったに通らない電車が通過。
ゴールの三河東郷駅のホームが見えました。
ゴール 何とか締め切り前に間に合いました。
ゴールの三河東郷駅
駅舎の枠組みは工事用ではなく馬防柵です。
駅舎は新しかったです。無人駅でした。
臨時にJR駅員さんが切符を発行してくれました。
ICOCAは使えず、久しぶりに現金を使いました。
以上後半は時間がなくて端折りました。
またリベンジし、詳しくアップしたいです。
2023-5-21 長篠・設楽原にて
ご訪問ありがとうございました。