【蔵出旅行記(2015年8月)】ソウルの旅の続きです。
慶長の役で倭軍とたたかった亀甲船(復元)
景福宮前の光化門広場の青②に李舜臣の像があります。
前回までの記事は下記リンクをご覧ください。
ソウル滞在3日目も清渓川沿いを歩き、世宗路まで来ました。
南北に走る世宗路。
武者姿の銅像は李舜臣、その北側に茶色に光って見えるの世宗大王像。
さらにその奥が朝鮮王朝の正宮景福宮、大王の後方に青く見えるのが大統領府(青瓦台)。
さらにその背後が北岳山。
李舜臣(りしゅんしん、イスンシ、이순신)
慶長の役で朝鮮水軍を率いて戦った李舜臣です。
慶長の役で戦死し、おくり名は忠武公(이순신)。
像の台座には亀甲船。
朝鮮水軍のレリーフ。
像のある光化門広場の地下に世宗大王と李舜臣に関する展示があったので立ち寄った。
亀甲船復元図。
亀甲船の復元模型。
倭軍を悩ませた亀甲船どんなものだったか正確には分かっていないようです。
船の内部に入ることができます。
船屋根には敵の侵入を防ぐ釘状の突起が出ています。
側面には、銃口。銃はもちろん大砲も撃てるようになっています。
艪が並んでおり二人の兵士で艪を漕いだ。
大砲も装備されていた。
船尾。
船首の龍頭。
日本では文禄・慶長の役と呼ばれる朝鮮出兵ですが、
朝鮮側は「壬辰倭乱」、明では「萬歴朝鮮役」と呼ばれる。
当時の侵攻軍は強くソウルの街は灰燼に帰したそうです。
日本では子供を叱るときに「鬼がくる」と言いますが、
韓国では「きよまさがくる」という表現が今でも残っているとのこと。
撮影 2015-8-27 ソウル
ご訪問ありがとうございました。