大阪の社長さん その2 | あら古希ちゃん

あら古希ちゃん

おばあちゃんがアルバイト始めました。
気がつけば、あら古希。
年金と最低賃金のアルバイトの収入で頑張る。
日々のことを忘備録的に綴っています。

時々下手な漫画も描いてます。


2017年になった頃に
とっくに死んだと思っていた社長さんと
ひょっこりLINEが繋がりました。

本物の社長さんですか?
生きていたのですか?
と、メッセージを送ってみたら
社長さんは生きていました。

2度めの奥さんとは離婚し
懸命に働いて借金を返却していました。






夜は郵便局で働いて、昼は以前から

やっていた仕事を細々と続けていたのです。

びっくりしました。

それからは時々LINEしていました。


2年くらい経たある日

社長さんからLINEが来たのです。





てな感じで

17年ぶりの再会でした。


驚いた事に!

社長さんは復活していたのです。

細々と続けていた昼間の仕事に

以前からの取引先のお客さんが

2億5千万の仕事の発注をしてくれて

助かったんだって。







それからは、とんとん拍子にうまくいって

年商3億の会社社長に返り咲き

離婚した2度目の元妻を事務員として雇い

元妻から頼まれて元妻の双子の妹も雇い

同じ顔の事務員さんが2人いる会社を

経営していました。





更に関係修復に成功して2度め元妻と

再婚をしていました。





何?ソレ。

良かったじゃん!


そんな感じで私と社長さんは

時々LINEで連絡を取っていました。

紀州のドンファン事件がニュースになった頃

社長さんを思いだして連絡しました。





てな感じ。




初めて会ってから40年近くの月日が流れて

何故か?不思議なご縁が継続していました。


今年に入って新年のLINEをしたら

奥さんから返信があり


主人ですが、昨日救急車で運ばれ

朝1時19分に亡くなりました。

急な事で

とりあえずご連絡だけさせていただきます。


生前は大変お世話になり

ありがとうございました。


あら古希さんとの明るいやり取りが

とても楽しかったようです。

まずはご報告まで


と、ありました。


社長さんは心筋梗塞で倒れたことがあり

何となくですが

いつかはこうなると思っていました。

72歳でした。


さよなら社長さん

波瀾万丈の一生だったね。


不思議なご縁をありがとう。


心より、ご冥福をお祈りいたします。