「荒木村重の足跡を辿る」(No.15)(荒木S) 有岡城跡(兵庫県伊丹市) | 荒木村重研究会

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荒木村重研究会は「荒木村重研究序説」(瓦田昇著)の発行をきっかけに翌年1999年に伊丹で誕生しました。
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織田信長方であった荒木村重は、堀(中島)城の本願寺勢に次いで、伊丹忠親にも戦を仕掛けました。

伊丹城内に兵糧が無いことから、村重は持久戦に持ち込むであろうと天正二(1574)年七月二十九日、村重の伊丹氏攻めについて、信長が明智光秀に伝えました。(『細川家文書』)

そして、(既に池田と尼崎を押さえていた)村重は、同年十一月十五日に伊丹氏を滅ぼしました。

伊丹城は、六甲山地から南東に伸びる舌状の台地(伊丹台地)の東縁辺部に築かれ、『細川両家記(ほそかわりょうけき)』には、「伊丹城ばかり堅固也、誠不思議哉とぞ申なり」と記されたほどの堅城でした。
また、村重にとっては占領地であり、新政策を行い易い城でした。

有岡城跡



一方、池田城の方は、主家を乗っ取った形になり、使い難い状況でした。

そこで、村重は、池田城を廃城にし、居城を伊丹に移しました。

ただし、伊丹城の名は、一国人に過ぎない伊丹氏を思い出させ、摂津国主の本拠としては相応(ふさわ)しくないことから、有岡城と改名されました。

また、大改修も行われました。
天正三(1575)年六月十一日、薩摩から伊勢神宮参詣のために摂津を通った島津家久は、「諸侍自身石をはこひ、超過の躰、目をおとろかし候」(『中書家久公御上京日記(ちゅうしょいえひさこうごじょうきょうにっき)』)と、武士まで動員され大規模な改修が行われている様子や、侍の立派な体格に驚いています。
完成したのは2年後です。
天正五(1577)年十二月に有岡城に立ち寄った宣教師のルイス・フロイスは、「甚だ壮大にして見事なる城に着きたり・・・」と本国宛の書簡に有岡城の感想を述べています。

有岡城は城下町を土塁(一部、石垣を使用)と堀で囲い込んだ惣構(そうがまえ)(東西0.8km、南北1.7km)の城として、昭和五十四(1979)年に国史跡に指定され、昭和六十三年には追加指定もされています。

東に本丸(現在のJR伊丹駅)、北端に岸ノ砦(きしのとりで)(現在の猪名野神社)、西端に上臈塚砦(じょうろうづかとりで)(現在の旧伊丹シティホテル)、南端に鵯塚砦(ひよどりづかとりで)(現在の有岡小学校の南)を配置し、内部は、大溝筋という幅6m・深さ約3mの堀によって、本丸に近い東側に家臣団が住む侍町、西に町人が住む町屋に分離されていました。

池田から移転させた寺社(大広寺・本養寺)も含め、意図的に惣構内部に寺社が集中配置されました。
寺社は、宗教活動の役目だけでなく、いざという時には、武士の詰所としての利用、武器や兵糧を確保する役割も担っていた可能性があります。

また、有事の際に周辺村落の百姓を受け入れる空閑地を有しました。

なお、天主は、主郭部(現在の有岡城跡)北西部(北西隅)の土塁上に建っていたという説(城郭考古学者 千田嘉博氏)があります。


有岡城は、摂津国主の強大な権力を誇示したり、防御機能のためにあるだけではなく、村重が町・村・地域の安全保障を担い、領民を保護する姿勢を表明した城でもありました。

伊丹駅西側商店街


有岡城を紹介する内容については、当研究会の過去のブログ記事でも何度か掲載されており、詳しくは、それらをご参照ください。

(2022.4.11付、2024.1.1付、2024.3.2付、2024.10.22付、2024.11.25付、2025.6.9付)


有岡城が存在した伊丹は、清酒を広めた地としても知られています。
伏見・灘・西条ほど有名ではありませんが、伊丹は、隠れた酒都と言えるかも知れません。

余談ですが、JR伊丹駅から大阪方面へ1駅の猪名寺駅東口から北東方面へ徒歩約10分位の所に、「猪名寺廃寺跡」(兵庫県尼崎市猪名寺1丁目)があります。

猪名寺廃寺跡



当連載には掲載し忘れていましたが、伊奈寺合戦についての記事が『陰徳太平記』に掲載されています。
当時、摂州十三郡の城主として、高槻の和田伊賀守、茨木の茨木佐渡守、伊丹の伊丹大和守、有馬郡の有馬出羽守、多田の塩川伯耆守、能勢の能勢十郎、池田の池田八郎四郎勝政がおり、皆、公方(くぼう)の御家人でした。
和田・茨木・伊丹・有馬の四人は共に縁者であり、一味同心して、池田を滅ぼそうとしていました。
永禄十一(1568)年八月中旬、伊丹大和守は、軍を率いて猪無(名)寺へ働きかけ、池田勝政は、二十一人衆を引き連れて打って出ました。二十一人衆の中には池田清貧斎、池田豊後守、池田九左衛門、荒木弥介村重、荒木志摩守、荒木越中守、中川瀬兵衛などの名がありますが、そのメンバー全員の名は、はっきりわかりません。
初めは足軽を出して様子をうかがっていましたが、伊丹の陣からは宇都宮作之丞、池田の陣からは荒木村重が名乗りを上げ、一騎打ちになり、村重が作之丞を討ち取り、三間柄の太さ八寸周の槍を引っ提げ、敵の中へ割って入りました。
敵は、日頃名を聞くだけでなく、村重を目の前に見て、その勇気に辟易して逃げ散りました。池田勢は勢いに乗って我も我もと追いかけ、伊丹の堀際まで押し詰め、首を多く討ち取りました。

ただし、この伊奈寺合戦についての記載は、年代が不安定、内容が村重の武勇伝のようになってしまっているようです。




[参考図書等]

シリーズ【実像に迫る】010「荒木村重」(天野忠幸著、戎光祥出版)

「荒木村重研究序説」(瓦田昇著、海鳥社)

信長と戦った武将「荒木村重」(天野忠幸・藤本史子・千田嘉博 他 共著、市立伊丹ミュージアム)

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JR伊丹駅へは、JR大阪駅からJR福知山線(宝塚線)快速で約15分で、また、伊丹空港からはバス+徒歩で約25分で到着出来ます。
有岡城跡は、JR伊丹駅前(西側)にあります。


大阪・関西万博で大阪を訪問される方もそうでない方も、少し足を延ばして伊丹を訪問されてみてはいかがでしょうか?



[有岡城跡へのアクセス]
JR福知山線(宝塚線) 伊丹駅から
西へ徒歩約1分

阪急伊丹線 伊丹駅から
東へ徒歩約10分



[猪名寺廃寺跡へのアクセス]
JR福知山線(宝塚線) 猪名寺駅から
北東へ徒歩約10分

阪急伊丹線 稲野駅から
東北東へ徒歩約18分