🏯「寛文九年 伊丹郷町絵図」
この絵図は、江戸時代中期の寛文9年(1669年)に描かれた、伊丹郷町(現在の兵庫県伊丹市)の様子を示した地図(複製)です。
伊丹は、戦国時代に武将 荒木村重(あらき むらしげ)が拠点とした有岡城(ありおかじょう)があった場所です。しかし、村重は織田信長に反旗を翻し、最終的に城は攻め落とされて廃城(1580年)となりました。
その後、伊丹は城下町としてではなく、「在郷町(ざいごうまち)」として発展していきました。つまり、武士の町ではなく、農村地域の中にできた商業と手工業が中心の町として栄えたのです。
(※ 伊丹の在郷町は、江戸時代に酒造業で栄えた15の村が連なってできた商工業集落です)
江戸時代に入ると、伊丹の大部分は、天皇家に仕える公家の名門である「近衛家(このえけ)」の領地となりました。伊丹ではこの頃から、江戸へ出荷する酒の生産=「江戸積みの酒造業」がたいへん盛んになりました。
(※ 江戸時代、近衛家は公家の五摂家の筆頭として、人臣で最も天皇に近い地位を誇る名門、藤原北家の嫡流として、歴代の摂政・関白に任ぜられ、多くの学者が輩出されています。近衛家は明治維新後、華族の公爵家に列せられ、近代日本において大きな役割を果たしました)
この絵図には、すでに廃城となっていた有岡城跡のほか、近衛家の支配に関係する施設である「御屋敷」や「会所(役所)」などの建物も描かれており、伊丹郷町がどのように形づくられていったかがうかがえます。
また、伊丹郷町の外側にある村々には、それぞれの村名の右上に次のような表記があります:
• 「御蔵所」:江戸幕府の直轄領(いわゆる「天領」)であることを示す。
• 「給所」:旗本や大名など武士個人の領地であることを示す。
「給所」については、当時の領主の名前を貼り紙で表していて、たとえば:
• 安部丹波守(あべ たんばのかみ)
• 保科越前守(ほしな えちぜんのかみ)
• 服部備後(はっとり びんご)
などが確認できます。
これにより、当時の伊丹周辺が、幕府や公家、大名などさまざまな権力が入り組んで支配していた状況、つまり「入り組み支配」と呼ばれる複雑な土地の支配関係がよく分かります。
✦ 用語補足
用語 意味
有岡城 荒木村重の居城。1580年に織田信長に攻め落とされ廃城。
在郷町 農村地帯に自然発生的に生まれた商業・手工業の町。
近衛家 五摂家の一つ。摂関家で、京都の公家の中でも最高位の家柄。
江戸積み 江戸向けに出荷される商品のこと。特に酒で用いられる。
会所 領主や代官が政務を行った役所。町の統治機関。
御蔵所 幕府直轄地(天領)を意味する。
給所 旗本・大名などの個人領地。
現在の伊丹市に残る酒造メーカーのいくつかは、江戸時代の酒造文化、特に寛永年間(17世紀前半)の「伊丹諸白」の伝統を継承しています。
1. 小西酒造株式会社
2. 老松酒造
◆ 伊丹と鴻池家の関係(補足)
• 鴻池家はもともと伊丹の酒造家でしたが、後に大阪で両替商・豪商へと転身。
• 伊丹酒の成功が鴻池財閥の礎を築いたとされ、伊丹はまさに「金融と商業の母体」となった土地でもあります。
◆ 現地で感じられる歴史
• 伊丹郷町酒蔵通り:小西酒造の白壁の酒蔵や、酒造文化資料館などが並ぶ歴史地区。
• 白雪ブルワリービレッジ長寿蔵:小西酒造が運営する観光施設で、酒造りの歴史が体感できます。
