「荒木村重の足跡を辿る」(No5)(荒木S)「桂川の戦い合戦場付近」 | 荒木村重研究会ブログ

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「桂川の戦い合戦場付近」を訪問


(村重が仕えていた池田家の当主)勝正は、池田城での籠城戦で織田信長に降伏後、足利義昭・織田信長方に所属していました。(当連載令和4.2.27付「池田城跡」(No3)参照)

永録十二年(1569年)一月、三好三人衆(三好長逸、三好宗渭、石成友通)は、本国寺(京都六条堀川、現在は本圀寺・移転)にいた義昭を攻めました。(本圀寺合戦)
(この時、信長は岐阜に帰っており、義昭の周りには、明智光秀らがいましたが、劣勢でした。)

この攻撃に対し、細川藤孝・三好義継・池田勢(勝正・正秀・荒木村重)・伊丹忠親・茨木氏が桂川に陣取り、三好三人衆の背後を攻め、撃退に成功しました。

この「桂川の戦い合戦場」について、参考図書の一冊に記載の「七条付近(京都市右京区)=阪急京都線の鉄橋の東側付近」を訪問してみましたが、合戦場の場所を示す石碑等は、残念ながら見当たりませんでした。


訪問のついでに、近くの桂離宮の入口に寄ってみました。事前予約なしでしたが、偶然空きがあり、5分後に入園可能である旨を受付で言われ、申込みました。庭園を写真撮影することが、許可されていました。

庭園内は、広く美しく、茶室4室や天橋立を模した石橋の掛かる池があったり、自分が今まで見た日本の庭園の中では、トップクラスの素晴らしさでした。

桂離宮は、八条宮(桂宮)初代智仁親王により、宮家の別荘として創建されました。

庭園内には、園林堂(おんりんどう)という建物があり、堂内には、現在は置かれていませんが、観音像や細川幽斎(藤孝)を画いた掛軸・細川幽斎が詠んだ和歌の短冊などが置かれていました。
関ヶ原の戦いの直前、慶長5年(1600年)7月、西軍に田辺城(京都府舞鶴市)を包囲された細川幽斎は、決死の覚悟で籠城していました。
細川幽斎は、当時唯一の古今伝授(「古今和歌集」の解釈などを秘伝として伝える)相伝者でした。
智仁親王は細川幽斎の門弟として、古今伝授を細川幽斎から受けられていました。
古今伝授の相伝者が亡くなることを惜しんだ後陽成天皇(智仁親王の兄)が勅使を送ったことにより、包囲が解かれ、細川幽斎は、無事に城から出ることが出来ました。
その後、細川幽斎から智仁親王へ授けられた古今伝授は、御所伝授の基礎となりました。

なお、桂離宮参観者休所展示室には、細川幽斎像(パネル)等が展示されています。


帰りには、桂離宮前バス停近くの有名な老舗和菓子店「中村軒」に寄ってみるのも、良いかも知れませんね。


[参考図書等]
「シリーズ【実像に迫る】10『荒木村重』」(天野忠幸著、戎光祥出版)
「戦国摂津の下克上」(中西裕樹著、戎光祥出版)
「荒木村重史料研究」(山脇一利著、ブイツーソリューション)
「荒木村重研究序説」(瓦田昇著、海鳥社)
宮内庁HP     (〈京都〉御所と離宮の栞      其の二十四)


[桂川の戦い合戦場付近へのアクセス]
阪急京都線西京極駅から徒歩約20分

[桂離宮へのアクセス]
阪急京都線桂駅東口から
徒歩    約20分
バス  「桂離宮前」バス停で下車後、
            徒歩約15分


写真上        桂川の戦い合戦場付近

写真下        桂離宮内    園林堂付近の庭園