今年初の例会(有岡mami) | 荒木村重研究会

荒木村重研究会

〜村研スタッフの手作りブログ〜

荒木村重研究会は「荒木村重研究序説」(瓦田昇著)の
発行をきっかけに翌年1999年に伊丹で誕生しました。
例会 歴史探訪 講演会 勉強会 イベント 会報『村重』
の発行や会員交流に役立つ情報を発信しています。

今日は今年初めての荒木村重研究会の例会でした。


場所 東リいたみホール
2022年4月10日開催






50代から90代まで12名の参加。

はじめに総会形式で昨年を振り返り、今年の計画をみんなで確認。
コロナ禍ではあるけれど交流しながら楽しく学びたいという声があちこちから上がり、お茶や能をたしなみ、文化人でもあった村重にちなんで、新作能「村重」プロジェクトの一環としてまずは村重の命日に有岡城跡で新作能「村重」奉納の会をやってみようということに。

続いて森本セミナー13回目。
いたみティ63号ふるさと戦国史14
有岡城本丸跡に立つ荒木村重と妻だしの歌碑
についてのお話。
だしの和歌

霜がれに残りて我は八重むぐら
なにわのうらのそこのみくずに

に対する村重の返歌

思ひきやあまのかけ橋ふみならし
なにわの花も夢ならんとは

この村重の歌の解釈について
平成元年まだ歌碑が有岡城跡に建立される前に発行された
『文学碑をたずねて』
の中では
漁師が間に合わせの仮橋を踏んで平らにするように
と説明されている。

漁師?間に合わせの仮橋?
違和感感じるという意見が出され、ここはいたみティふるさと戦国史に記されている
天のかけ橋
という解釈の方が自然ではないかという意見が多数出された。



平成から令和へ。
時代の流れとともに歴史上の人物像はアップデートされそれとともに歌の解釈も変わっていくのだろう
と思い至ったひとこまでした。