弁当に行く。

【1/29訂正】弁当を使う。の誤りでした。申し訳ありません。

 

知らない表現だったけれど、う~ん。

辞書を引くと出てくるけれど、主流の表現かどうかと聞かれたら、主流ではないかなぁと思う。

 

今回の件で誤解が生まれないように補足を入れるけれど、

■「誰が誰宛に書いた文章かというのが文字においては重要になる。

大先生が書いた文章については、誤字や間違った表現と思ってもちゃんと調べてから指摘を入れる。(そんな仕事を受けたことないけれど、あ、あるか。)

また、大先生が書いたとしても、一般人向けに書いた文書なら、書いた表現が大衆に通じにくい表現だと思ったら恐縮しつつも指摘をする。

大先生が、自分の信者に向けて書いた文章なら、もうそりゃ、よっぽどのことが無ければ指摘しませんよ。怖いし。恐れ多いし。

 

さらに補足。

■校正者の指摘は、赤字だろうがギモンだろうが、校正者から先の誰かが✕を付ければ終了。

うちらは保守業なので、保守の人間が問題だと提起しても、その先の誰かが問題はないとジャッジすれば問題じゃなくなるんですよ。

保守業だから、内在する問題を問題と認識できなかったら校正者として終わっているので、知らない仕事や大切な仕事なら、時間の許す限り指摘を書くようにすると思う。

書いた後の指摘は、バッテンされようが何しようが別にいいんだ。

文字が仕事をするようになってくれればいいし、最低限、文字が事故らなきゃいい。

 

さらに補足。

筆者の難読字に対して、校正者が「若い人にはわからない」と指摘した場合、その校正者がよっぽどのポンコツではない限り、上の条件を意識しながら校正しているんだろうから、その指摘に対してあーだこーだいうのは筋違い。無言で校正者指摘にバッテン付ければいいんだと思いますよ。

そうしないで、校正者の仕事に文句を言うのは、𠮷野家に行って、高級レストラン級の接客や料理を期待しているような『場違い感』に似ている。

 

校正者が指摘した難読字に対して、筆者が、

「若い人はわからないといわれた。でも、私もわからない言葉から語彙を増やしてきた。ま、今はマウンティングとかいうんでしょうが。」

という発言をしているけれど、そもそも語彙が足りていない。これは『老害』というんだ。

気に障る指摘をしてくる校正者に仕事を依頼しているのなら、その校正者に依頼しなければいい。

 

あえてオープンな場で「言葉が消えていくのを惜しむ」と角が立つのを回避しているように見せかけて、暗に校正指摘の批判をしているのを見て、年末から頭にきている。

仕事の不満は仕事で晴らせよと。