老記者の伝言 | あらかんスクラップブック

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60代の哀歓こもごも

なんだか、すっかり寝ぐせ(髪の毛じゃないよ)がついてしまった。

ほぼ、1週間近く、部屋に閉じこもり、ベッドの上。

のどが痛くて、ロキソニンでも改善しないため、医者に行ったら、のどの痛みと発熱は、コロナの疑いがあるので、発熱外来じゃないと診られないといわれ、やっとこさ予約のとれたクリニックで車に乗ったまま検査を受けると、コロナ陽性。まさかね。

自宅療養という、自宅放置になりました。外出禁止。宅急便や配送、配達も玄関の外に置いてもらう。

 

熱はないが、喉頭が異常に腫れあがり、声が出せない、痛くて食べれない、液体を飲みこむと、涙が出る。 ゆるい痰が口いっぱいたまり、もう顔がぐちゃぐちゃ。それでも、コロナだから診察してもらえない。

私の場合は、ウイルスはのどに集中的に作用したみたいだ。

 

細切れにしか睡眠をとることができないので、本でも読もうと、とりだしたのが、この一冊。 

 

むのさんは、秋田県生まれ。東京外国語大学卒。朝日新聞記者として、戦時中は特派員として中国や東南アジアで前線取材をする。

1945年8月15日、戦争が終わった日に、戦争に加担した新聞社の責任は免れないとして退職。

秋田県横田市で、週刊新聞「たいまつ」を創刊。

それ以来、2016年に101歳で亡くなるまで、言論や講演を通して、主に反戦平和の立場から発信しつづけた。

 

「反骨のジャーナリスト」、「不屈の…」というイメージが強くて、私は、ガチガチの硬い人で、読まなくても言いたいことはわかるよと偏見をもってたが、読んでみると、きわめて常識的。こんなのが反骨になるなんて、世の中のほうがどうかしている。

いい年のとり方をされたのだろう。

 

気に入った語句に、ポストイットしたので、書き出してみます。

ふだん感じていたことが書かれている。

・ジャーナリストとは何か。いちばん大事な任務は、社会の歩みに間違いがあったら、正す。権力が隠そうとしていることを暴き出し、社会の動向について正しい方向に先導するということです。

 

・隣近所が仲良くしていないと、穏やかに安心して暮らせないでしょ。おいしいおかずができたら「これ作ったよ。食べて」ともっていけばいいんだ。 日本や韓国や中国は一番の隣近所でしょ。歴史的経緯から言って、先におかずをもっていくのは日本です。そういう関係がないから、「あいつまた何かをやりはじめたな」と警戒される。

 

・平和運動とか平和集会とかデモ行進とかで戦争を止めた記録をひとつも知らない。「戦争反対の行動に参加した私は良心的だ」と、自己満足的平和運動になっているからです。

 

・戦火に苦しむ民衆の姿を見て「なんて気の毒に」とか、「かわいそうだ」って思っているときは、おれはどんなに惨めになってもこのようになりません、と思っているからだ。

 

・明治時代に、文部省が「君が代」を小中学校で歌わせようとしたときに猛反対したのが学習院だった。 「君」とは、遊女の異称。女郎のこと。だから、「君が代は~」というのは、「あなたの世は長く栄えますよ、ね、お客さん」とおだててまた来てもらう歌で、「そんな歌を歌うなんて愛国心がない」というわけだ。

 

・格安バス旅行で、事故がおきる。運転手やバス会社を非難するときに「こんな安い運賃で僕らを運んで、運転手さんは生活が成り立つのか」と考えると、どこかで無理な運転をしているのだろうから、最も重い最終責任をもつ決定者は自分だということになる。

 

・アラブの春は、革命家が民衆を動かしたわけではない。チュジニアで失業中の青年が、街頭で売ろうとした野菜を警察に没収されたのに抗議自殺したのが発端だった。彼と似た若者が広場に3万、5万と集まってきて、政府が鉄砲撃ってくるのに、石を投げて抵抗した。みんなが「あいつを倒そう」とやった。それが、ヨルダンやエジプトなどアラブ諸国に広まり、完全な独裁政権だったリビアのガダフィも倒された。

 

・日本の教育は、大人が小さい子どもの面倒を見て教え、育て上げるという解釈だ。きびしく教えるためには殴るのもやむを得ないとなる。体罰は、出発点からもう違っている。懲らしめは教育には入らない。上下関係が入ったら教育は壊れる。お互いが協力して引き出し合う共同学習が教育なんです。

 

・諫早問題、干潟を埋め立てて農地をつくる。利益を得る農民と失う漁民の両方を農水省という同じ省庁が担当している。「お前は弟だから我慢せい」と省庁内で気楽にやっている。

 

・災害時などにおこなわれる日本赤十字社などの募金や寄附。匿名で寄附してしまえば、何に使われたかもしっかり観ていない。本来国がやるべきことを大衆の温情で続けるのがいいのかどうか。

 

・「がんばろう日本」とか「がんばれ日本」という合言葉。だれがだれにがんばれと言うのか。他人に号令をかける言葉だもの。

 

・震災で、これからどうするか、お金も土地もない。

でも、家を建てるくらいのお金は持っているという前提で考えればいいんですよ。考えたことを国や県にじゃんじゃん要求する。国は、国民の生命や財産を守ることになっているのだから遠慮することはない。

 

この本は、朝日新聞東北6県版に、2009年から亡くなるまで7年間、「再考三考」という連載のなからから選んだもの。 1編、2~3ページなので、気軽に読める。

聞き書きをした定年退職の記者は、あとがきで、聞くときは真剣勝負だったと書いている。読んでいると、それがよく理解できる。

平和のために何ができるかという問い続けた老記者のぶれない生き方があちこちで顔を出す。 

政治家の言葉も、新聞の言葉も、隠匿、ペテン、噓っぱちだらけの今日、言葉をそのまま受け取ることができる文章になかなか出会わない。この本は、ひさしぶりに納得できる文章だ。

最後に、私も同感の一文を。

「文章は面白くないとダメだ」。読み手が次も読もうと思わないような、読んで面白くない文章は人の役に立たない。

 

最後に、この人は朝日新聞に残るべきではなかったかと思う。

今、戦前と同じようなことがおきている。その危機を身をもって知る記者が、留まって警鐘を鳴らし続けていれば、このような事態にならなかったのかも知れない。