そして愛に至る | あらかんスクラップブック

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60代の哀歓こもごも

ゴダール第4の時代は「ビデオ時代」(1974~80)

 

アンヌ=マリー・ミエヴィルは、1945年、ローザンヌ生まれ。時計会社社長の娘で、家庭は旧家で、プロテスタント。20歳でパリに出て、広告業者と結婚し、娘が生まれた。音楽で身を立てようと、2枚のレコードを出した。「フランス版ジョーン・バエズ」と呼ばれた。

 

ゴダールとに初めて会ったのは、71年。ローザンヌに居たころ。知り合ってから、ゴダールは毎日手紙を書き送った。恋愛時代はいつもマメだね。

40代後半のゴダールは、パリからグルノーブルに移り、「ソニマージュ(音響映像社)を設立。代表者はミエヴィルである。ゴダールは「これからつくる映画は、私の妻と娘にありのままの映画を見せることができる映画である」と、家族映画宣言。

ビデオドキュメンタリーに専念する。以前、撮影だけしてほったらかしにしていたパレスチナの映像を、ミエヴィルと共に「ヒア&ゼア こことよそ」という作品にまとめる。パレスチナの難民キャンプに住む一家の軍事訓練や虐殺死体という「よそ」と、フランスに住む労働者一家の「ここ」を対比させる。編集は、ミエヴィルがむしろリードした。最後はミエヴィルの語り。

「これまでこんな単純な映像を見聞きできなかったのはどうしてか? われわれは映像を観ることも聴くことも知らないでいる」。

世間からは、ゴダールは隠遁していたと思われていたが、ミエヴィルと新しい政治映画に挑戦していたのだ。「ヒア&ゼア」はパート2が作られる。それは、ドキュメンタリーではなく、俳優が演じるフェイク・ドキュメンタリー。家庭という極めて個人的な主題が、実は最も政治的であること。

家事や育児、ジェンダーと労働、家庭内暴力、性の合意…。当時のフェミニズムも追及しなかった政治的なテーマがゴダールとミエヴィルによって作品化された。

ゴダールが、共同監督であることを画面に出したことにミエヴィルは怒ったが、クレジットにでても、映画界はそれを全く無視した。自己顕示欲がなければ、怒る理由はない。でも、なぜ無視するのだろうか? 女性の芸術活動を無視することによって、自分たちを守っているのなら、芸術を志す人間がやることではない。

 

第5時代は、「1980年代」(1980~85)、

第6時代は、「天と地の時代」(1980~88)。ダブっているね。

ゴダールとミエヴィルは、スイスに移住。

50歳になったゴダールはビデオやビデオとフィルムを混合した作品を次々と製作し、TVシリーズもある。

日本では、ほとんどお目にかかれない。

1979年に、「勝手に逃げろ/人生」で商業映画界に復帰する。ゴダールは「第二の処女作」と呼び、これ以降、50歳から亡くなるまで、途切れることなく、作品を監督し続ける。

だんだん、自己露出が増え、チョイ役で登場し、往年のファンを喜ばせた。本人は気晴らしだといっている。

 

 

日本でも公開された「そして愛に至る」で、ゴダールとミエヴィルは、夫婦役を演じている。 監督はミエヴィル。

この映画で、ゴダールはさめざめと泣くのである。若いときには、あれだけ攻撃的で、人々を翻弄し、狂気じみたゴダールが、メロドラマのように泣く。

 

これは、ミエヴィルの功績?…だと私は思う。 ゴダールから逃げず、振り切れないように支えてきた。聡明な批判者としてゴダールと向き合った。

40年も…。 まだ76歳。存命している。本でも、ビデオでも映画でもいいから、ゴダールの真実みたいなものを残してほしいと思う

 

1960年代、30代のゴダールが、映画の夢を語っている。

むかしむかし、映画をつくって生きていきたいと死ぬほど思っていたフランス人がいました。しかし、映画を売り、市場を獲得するための巧みな宣伝による広報活動も必要でした。つまり、自由な人間たちの希望の遺産であるこの文化と夢の分け前を普及させるために、たたかい、未来を開拓していかなければならなかったのです。

 

ゴダールの冥福をお祈りします。 あなたの映画は、楽しかったよ。

ありがとう。