気狂いピエロ | あらかんスクラップブック

あらかんスクラップブック

60代の哀歓こもごも

 

 

ゴダールの映画活動、第2の時代「アンナ・カリーナ時代」。1960年~67年。

第1の時代の「勝手にしやがれ」を最後にして、第2の時代は、五月革命まで。

ゴダールとアンナ・カリーナが結婚していたのは61年から64年まで。



アンナ・カリーナは、1940年、コペンハーゲン生まれのデンマーク人。父親は船員で、アンナが1歳のときに家庭を捨てた。母親は、彼女を祖母に預け、その後、里親を転々として、再婚した母に引き取られたが、その母はまた別の男を引きずり込む。その男のDVのため、中学生だったアンナは不登校になり、家出を繰り返す。エレベーターガールの職をえるが、それも客のセクハラにうんざりして辞めてしまい、映画のエキストラなどで生計を立てたのが、俳優への道のはじまり。


18歳のときに、ヒッチハイクでパリにつき、フランス語を覚えるために一日中、映画館で繰り返し映画を観て、話せるようになる。

やがて、「エル」の雑誌モデルとなった。そこで会ったココ・シャネルに、アンナ・カリーナという名前をつけてもらう。

石鹸のTVコマーシャルで、泡だらけになっているアンナを、ゴダールがみて、「勝手にしやがれ」の端役にしようとアンナに連絡した。 全裸でおっぱいを見せる役だったが、あっさりと断られる。 

「勝手にしやがれ」がヒットし、ゴダールは時の人になった.。再びのゴダールの「次の映画は「脱がなくていい」というオファーに、アンナは契約する。 新聞が、アンナはゴダールの新しい恋人だと書き立てたので、アンナは傷つき、出演を断る。ゴダールは、すぐに50本の赤いバラの花束をもって、彼女の部屋のドアをたたき、「アンゼルセンの国の美しい女の子に涙は似合わない」と言って彼女を慰めた。

アンナ・カリーナは、「小さな兵隊」(1960)を撮り終えたあと、ゴダールと結婚する。


 

「小さな兵隊」   諜報員の役。アンナ・カリーナの美しさを描くための政治映画

 

その後、アンナ・カリーナがヒロインの映画は、

「女は女である」(1961)、「女と男のいる舗道」(1962)。


「女は女である」 踊り子役。ミュージカルコメディ 

ゴダールの子どもを妊娠していたが、撮影後、死産をする。ゴダールとの間に隙間風。

 

女と男のいる舗道 娼婦の役。 搾取された女が自分の人生を切り拓いていく。

アンナには、この映画が理解できなかった。ゴダールとの間に、修復不可能な亀裂。

 

2人は、「アヌーシュカ・フィルム」という製作プロダクションをつくり、「はなればなれに」(1964)を製作。そして、正式に離婚した。

その後、「アルファヴィル」(1965)でもアンナは主役。

そして「気狂いピエロ」(1965)、「メイド・イン・USA」(1966)、「未来展望」(1967)。 ゴダールの7本の映画に出演した。

 

 

気狂いピエロ」は、1965年のヴェネチア国際映画祭に出品されたが、ブーイングの嵐。

筋立てとしては、魔性の女を愛して自滅する男の話で、いわばフィルム・ノアール。でも、すんなりとはいかず、物語は逸脱に逸脱を重ね、ゴダール得意の引用の乱発で、カットはつながらず(ジャンプ・カット)、観客を煙に巻き、鼻持ちならないスノッブなおしゃべりが延々とつづく。カメラは、安定せず、観客はそれでも大事な場面を見逃すまいと必死で、いわばストレスだらけの映画だ。

「気狂いピエロ」の台本は、30ページ、27のシーンだけで、セリフもなし。セリフは撮影時にカットごとに口移しか、ゴダールが書いたノートが、渡された。俳優は、それを1~2時間で覚え、リハーサルもほとんどなかった。

 

この映画の悪評を擁護の論陣を張って、逆にゴダールの芸術的な評価を決定づけたのが、フランスの詩人、小説家、文芸評論家のルイ・アラゴンだった。ダダイズムやシュールレアリズムを牽引し、ナチス・ドイツの占領下では、レジスタンスの詩人として知られた。。アラゴンは、「今日の芸術とはジャン=リュック・ゴダールにほかならない」、「新しいもの、偉大なもの、崇高なものは、芸術においては常に罵倒を浴び、軽蔑や凌辱を受けるものだ」

とまで書いて、『気狂いピエロ』を激賞した。

 


ルイ アラゴン


このような経緯で、「気狂いピエロ」で、ゴダールの芸術家としての声価は決定的となる。そしてそれから暫しの時を経て、「アンナ・カリーナ時代」は終わりを告げる。アンナはゴダールの映画に、生き生きとした感情を全開させたが、その可愛らしい、お茶目でコケティッシュなアンナのサービス精神は長続きしなかった。彼女はゴダールの元を逃げ出した。ゴダールはアンナ・カリーナに逃げられた。

 

「気狂いピエロ」のラスト。ベルモンドが演じるフェルディナンは、アンナ・カリーナ演じるマリアンヌとその愛人を地中海の孤島まで追いかけて、射殺する。 息も絶え絶えのマリアンヌが「ごめんね。ピエロ」と初めて詫びる。でももう遅い。フェルディナンは「オレはフェルディナンだ」と答える。

のち、ダイナマイトで自爆しようとするが、導火線に火をつけて、慌ててもみ消そうとするが、間に合わず自爆する。 

アラゴンが「わたしたちはみんな気狂いピエロだ」と言うとおり、ドジな道化。

最後にカメラは、広大な海にパンし、2人の声で、「見つかった!」「何が?」「永遠が」「海に融けこむ」「太陽が」。 

難解とされる映画だが、最後のFINで、胸のつかえがおり、一度観たら忘れられない映画になる。


1967年、ゴダールは商業映画との決別宣言文を発表。作品や発言が政治性を強めていく。フランスでは68年、学生の反乱がゼネストへと発展し、五月革命が起きた。

その最中のカンヌ国際映画祭に、ゴダールは、トリュフォー、クロード・ルルーシュ、ルイ・マルらと乗り込んで、映画祭を中止へと追い込んだ。

ゴダールの映画は第3の時代「毛沢東時代」(1968~73)となり、この時代のゴダール映画のミューズは、アンヌ・ヴィアゼムスキーに代わる。


アンナ・カリーナは、アメリカに移り、4度の結婚を経て、最後のパートナーのデニス・ペリーは、「アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい」という映画を製作した。

アンナ・カリーナは、2019年に79歳でガンで亡くなった。

 

 

それから3年後にゴダールは、死を選んだ。

ゴダールとの結婚時代、アンナカリーナは、2度の自殺未遂を図った。それぞれに愛人がいるという修羅場の日々で、ゴダールは監督として、向き合うようになったのかも知れない。

しかし、アンナカリーナは、男がどれだけ情熱を傾けようが、それには応えず、男を翻弄する未知の存在とするマニアンヌを演じ切ったのではないか。

フェミニズムの屋台骨を作ったのは、ボーヴォアールというフランス女。フランス女は、女であることを捨てない。そんなフランス女にゴダールは捨てられた。私はそう思っている。

女に手押し車を押してもらう人生を選ばず、自分で死ぬなんて、バカだなぁ。いつまでも青くさい男。


 

晩年のアンナ・カリーナ