勝手にしやがれ | あらかんスクラップブック

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60代の哀歓こもごも

西九州新幹線開業。日本全国、新幹線だらけ。 身体は、動脈だけでは動かない。毛細血管はどうした?JR。 

新幹線の「顔」は、こんなに可愛くなった。正面はネコみたい。

でも、横顔は↓

在来線のレール幅でも走れるというから、

さぁ、毛細血管復活だ。 地方のお年寄りとか、高校生とか、新幹線は乗り心地がいいよ。 まさか、ワンマン運転できないしね。地方をネコ新幹線で再生させよう。

 

さて、台風で雨の日が続いたが、晴れると残暑が復活し、今日は国葬。

東京はやたら警官が多い。 こんなばぁさんでも、職質。持ち物あらため。この筒状のものは、書作品だっつうの! 汚いグローブの手で触るな! 何人も寄ってくるな!愛知県警。

 

9月13日に、ジャン・リュック・ゴダールが自殺ほう助で、死去した。91歳。

報道の、「体の機能を失う複数の病気」だったのか、「特に大きな病気はなかったが、疲労困憊していたのか」は、定かではない。

「重病になったとしても、手押し車に乗せられたいとは思わない」と、2014年にカンヌ国際映画祭のインタビューで語っている。

 

70年代から、自殺ほう助が認められるスイスに移り、自殺についてはずっと考えていたらしいから、91歳で人生を終わらせる決断をしたのだなぁと、思った。 全力で駆け抜けて、近親者に囲まれて、自ら薬を飲んだという。

ゴダールには、オタクが多いから、なんやかやと、残した言葉と映画とを関連付けてこれからもいろいろな評価がされるだろうから、自殺のことはとりあえず置いておいて、残した映画を観てみようと思った。

まず、「勝手にしやがれ」を借りてきた。 1960年公開。

ゴダールは1930年生まれ。パリ在住のスイス人のブルジョワ家庭にうまれた。父は複数の診療所を経営する医師で、母は銀行家の娘。4人の子どもがいて、姉につづく2番目がジャン=リュックで、弟、妹と続く。

スイスで中学校、パリで高校、大学はソルボンヌ(パリ大学)で、人類学を学び、兵役から逃れるためにスイス国籍を取得。大学より映画オタクで、映画評を書いたり、配給会社の宣伝部員として働きながら、短編映画でデビュー。そのころに、トリュフォーやロメールなどと知り合い、映画研究雑誌の「カイエ・デュ・シネマ」(1951)を創刊。ヌーヴェルヴァーグ(フランス映画の新しい波)の母体となる。

ゴダールの映画活動は、だいたい7つに区切られるという。

第1の時代(1950~59)は「カイエ・デュ・シネマ時代」。ゴダールは20代。短編5作品あるが、DVDは現在、日本では手に入らないみたいだ。

この最後の年に、初めての長編映画『勝手にしやがれ』が完成する。

 

青春映画、ジャン・ポール・ベルモンドが演じる主人公、ミッシェルが、マルセイユで自動車泥棒をして、高速道路を走らせてパリにむかおうとするが、途中で警官を撃ち、指名手配。 パリで旧知のアメリカからの留学生のパトリシア(ジーン・セバーグ)と行動を共にするが、最後はあっけなく路上で息絶える。

原案は、トリュフォーだが、勝手に書き直し、撮影中もどんどんストーリーを変化させていったらしい。

主人公のミッシェルのように、そのころ、ゴダールは飢えを忍ぶために泥棒を繰り返していたと言われている。盗み癖があったとも…。

ミッシェルが、キャメラを通して、私たち観客に直接、いらだちをぶつけて、毒づく。 死の予感は、映画の最初からあり、無軌道な行動は、死ととなりあわせになっている虚無感の表出。今、年をとって見直してみれば、若さを持て余してるだけとも思える。ぶざまで、なんで、そんなにおしゃべりするのよと思わずにいられない。

映画の専門学校や大学では、この映画を分析して、アメリカのB級犯罪映画の影響だとか、カット割りだとか、いろいろ勉強のネタはあるのだろうが、ここまで書いて、なんか、ゴダールではなくて、ジーン・セバーグのことを書きたくなった。この人も波瀾万丈。

ゴダールとセバーグ

 

ジーン・セバーグは、「勝手にしやがれ」の前に、「聖女ジャンヌ」でジャンヌダルクを、「悲しみよこんにちは」では、小悪魔的な思春期の少女を演じて、少しは有名であった。

「勝手にしやがれ」のパトリシアは、留学生のヤンキー娘という役柄。当時のパリファッションからかけ離れたセシルカットと呼ばれたベリーショートやサングラス。ユニセックスな、白黒のしましまTシャツ、タンクトップ、ノーブラ…。日本ではそれがパリモードだと誤解していた。それに、大学では文学を学び、アメリカ系の新聞社でアルバイトをしているという。 一方、ミシェルは、ハンガリー人の名前のパスポートで経歴、国籍不明の風来坊。 その社会的階層の異なる二人が、パリという共同体でなぜか、はじかれた存在として似た者同士。でも、お互い求めあっているわけでない。ミシェルは、最後、パトリシアに「全く最低だ」と罵るが、上から見下ろして、パトリシアは「なんてこと?」と背を向ける。ミシェルは自分の手でまぶたを閉じて死ぬ。

 

ジーン・セバーグはこの1959年のフランス映画のあと、ヌーベルバーグのヒロインとなったが、ハリウッド映画やドイツ映画にも多数活躍している。

私生活では、3度の結婚。弁護士、映画監督、作家。 男性遍歴は多彩で、「彼女はした?しなかった?」という、性的交渉相手のリスト本があるほどである。

伝記によると、亡くなる前の10年間は、黒人解放運動に深入りする。白人女優が黒人解放運動に共感するなど、当時の白人中心主義の米社会については、あってはならぬこと。1970年に妊娠した時は、生まれてくる子どもが白いか黒いかというゴシップがメディアを賑わせて、セバーグは薬物中毒になり自殺を図り、帝王切開で早産。わずか1800gの女の子の遺骸を抱いたセバーグの写真が、メディアで流された。

セバーグとイーストウッド

 

その女の子の本当の父親は、後に俳優のクリントイーストウッドであるとされるが、当時の夫(作家で映画監督)は、「死んだ子は私の子だ」といい、「この子どもはメディアによって殺害された」と非難した。

セバーグは、毎年の子どもの命日には自殺を繰り返し、FBIとCIAによって生活を監視されていると、だんだん正気ではなくなり、精神病院の電気ショック療法を煩雑に受けた。肥満で左足はマヒして歩くことが困難になった。

そのセバーグがパリの自宅から失踪し、最後に発見されたのが、近所に停車していた車の後部座席。毛布に包まれた死体となっていた。 真相はわからないが、夫は「FBIによって殺害された」と記者会見した。その夫も翌年自殺してしまった。

 

「勝手にしやがれ」のパトリシアは、自分の行動の意味を理解しない。ゴダールは、異邦人としての女を描きたかったのか? それとも単なる女嫌い(ミソロジー)? 

ジーン・セバーグの人種や政治に深くコミットして、40歳で殺された人生と、「勝手にしやがれ」の21歳の当時と…。破滅とか凋落とか、それだけでない意味を、あれこれ考えている。

キリがないので、結論。

「青春は、死を予言する」。意味不明だねぇ。

教訓は「苛立っている若者を理解してあげよう」。

終わります。

次回は、ゴダールの最初の妻となったアンナ・カリーナについて。

映画は、やっぱり「気狂いピエロ」です。ね。

ゴダールの第2期「アンナ・カリーナの時代」(1960~67)です。