シモ―ヌ・ヴェイユ②工場体験 | あらかんスクラップブック

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60代の哀歓こもごも

安倍さんの銃撃事件で、統一教会というカルトや、容疑者のいわゆる「宗教2世」問題がクローズアップされている。

宗教2世問題は、親が宗教を信仰している家の子どもが、世間とは違う生活を強いられてしまうことを指す。たしかに、親がなければ生きていけない子どもに特定の宗教を強いることは、信教の自由を侵している。

日本人は無宗教が多いから、あまり問題にならないが、私の周辺でも、キリスト教の「日曜は教会学校だから、遊べない」とか、イスラム教、ヒンズー教…、いろいろ宗教上制約される子がいたなぁ。

あまり悩んでいる様子ではないし、宗教や家族の問題だから、アンタッチャブル。でも、子どもの立場で、違いを楽しんでいたよなぁ。

 

でも、統一教会など新興宗教はすごいことになってたんだね。テレビ、マンガ禁止。友だちともろくに会話できず、「外の人間はサタンだ。逆らうと地獄に堕ちる」。 教団の行事で、親はネグレクト。 お金は霊感商法や献金で、とことん吸い取られるから、進学も就職もきびしい。

こんなだと、成長してこの状態から抜け出そうとしたら、親とは縁を切る事になる。この国の家族主義、親と関係なく生きることがどれだけ大変か? 保証人、生活保護、戸籍…。行政も「宗教や家族の問題」と応じてくれない。

「だから、宗教ってやつは…」と、十把ひとからげで、この問題をスルーしたりバッシングしてはいけない。宗教2世だから、親のせいで人生を宗教から始めることになっちゃったというのもアリ。それがストレスやトラウマにならなきゃいいのだ。 日曜の教会学校より、サッカーを選択すれば、神さま、いやイエス・キリストは、許してくれる。そんな程度。 聖書から遠ざかったとしても、痛めつけたりはしない。迷える子羊だもんね。 群れから離れて孤独になれば、羊飼いは他の羊をほったらかして、見つけ出してくれる。

宗教というのは、そんなもんだよ。…というのが、私の宗教理解。

宗教2世の保護や支援を公共がそれを担わなければならない。 2世がどんなに苦しくても暴力は解放してくれない。解放のためには、人の言葉が必要だ。

 

今回は、シモ―ヌ・ヴェイユが教師を休職して、一時的にしろ、工場労働者として働いたことを書こうと思っている。

私は、ほぼ毎日、プールで歩くのが日課。歩いているときは思索中。もう、支離滅裂に日常や本からの知識や、ニュースや、アートなんかが交錯する。 肩まで水につかっているのはいいよ。 人間はもっと水のなかで過ごすべきだね。

それで、安倍襲撃事件の山上容疑者が、自分の解放のために暴力ではなくて、もし、シモ―ヌ・ヴェイユを選んでいたらと考えた。 労働や宗教のことを教えてくれる。 若い人だしね。

山上くんは、読書家でなく、やっぱスマホに依存してただろうけど、アーレントやシモ―ヌ・ヴェイユのように、戦争と政治の時代に生きた人の考えたことや行動を知ってほしかった。

推薦するとしたら、この一冊。

重力と恩寵」。文庫本も何社からでています。

生前、ちゃんと著作として出版社に持ち込んだことはなく、ほとんどがノート(雑記帳。カイエ)に書きつけられたメモ。

死後、分類し、表題をつけてアフォリズムとして出版された。

 

シモ―ヌは、虚弱体質や凡庸な頭脳を努力によって切り拓くことができると固く信じていた。何事にも妥協しない純粋さ。でも「イケイケねぇちゃん」ではない。他人の苦しみにめちゃ敏感。人前でのエピソードは数々ある。中国の大飢饉の報道で、大声で泣きだしたとか、ストライキのニュースに反応して、わなわなと異様に震えて、怒りをぶちまけたとか…。

デモあれば出かけていき、平和運動にコミットし、教師の給料の大半は失業者や困窮者に使い、自分の部屋はいつでも貧しい労働者が食事をできるように解放されていた。 自分自身の食料や光熱費も使いはたして、室内でコートを着たまま震えていることもあったという。

 

1934年12月から翌年8月、労働者の体験をするために、パリの電気機器会社の工場でプレス工として採用された。

知識人として、社会的弱者のために生きるために、肉体的な労働の現場を体験することが必須条件だと思ったからだ。

もちろん、周りからは、わがまま、身勝手、言行一致のアリバイ作り…、情緒不安定などと揶揄された。

体調は最悪で、片頭痛の発作、血行不良による不器用、不慣れ…で、四六時中、監視され罵倒される工場生活を送った。

「工場日記」は、その体験が記録されている。現在のワーキングプアにも読んでほしい。

山上くんが、倉庫会社で、仕事のやり方に文句を言われて反発したことが報道されていたが、彼女も工場の非生産的でない労働に苦痛を覚えていたのは確かだ。でも黙っていた。労働者に溶け込むためである。

工場労働の体験は、現場の労働者(女工)の観察から始まり、その実態は予想通りだった。

疲労が重なると、自分が工場にいる理由までも忘れ、こういう生活がもたらす最大の誘惑に負けてしまいそうになる。もうなにも考えないという誘惑だ。それだけがこれ以上苦しまずにすむ、ただひとつの方法だ。…

…もう、わたしは従順であきらめきった駄獣になりきってしまうだろう」(工場日記)

奴隷という感覚は、生活の繰り返しにより内面化してしまう。

バスに乗ろうとして、

どうして、わたしのような奴隷がバスに乗れるのか。おまえにはバスなんかもったいない。おまえなんか歩けと言われて、バスから引きずり降ろされても、当然と思える。 自分にも権利があるのだという感覚をすっかり失ってしまったのだ」(工場日記)

「工場日記」には、疲れのあまり、文章として脈絡のない、不可解な言葉、単語なども多い。

よく眠れない。出かけるとき、胸を締め付けるような苦しみ、不安

私はなかば、精神錯乱状態にある

それでも、電気機器製造工場の後、鉄工所で圧搾機の操作、 ルノー自動車工場でフライス盤操作(旋盤工)として働いた。

 

工場労働者はいやでも「奴隷」を自覚する。それに比べて経済的、社会的地位、家族などの愛情に恵まれている人は、奴隷は自分とは無縁と考える。無縁だから、奴隷状態の人に対しては、心の平和を得るために、ちょっとの施しや親切で心の平和をえる。

工場体験で、シモ―ヌ・ヴェイユは「自分には何の権利もない」ことを悟る。フランス革命に始まる「基本的人権」は、現実にはないことを確信するに至った。

現在でも、当時ほど衛生状態は悪くないし、有給休暇など制度面も整えられているが、奴隷のような収奪がないとは言えない。むしろ、ソフトに管理されて、巧妙な抑圧を受けている。

 

奴隷の仕事は、労働に必要な苦痛ではない。必要な苦痛なら、耐え忍ぶことに誇りを感じることもできよう。それらは不必要な苦痛なのだ。

苦痛がつらいのは、工場に自分の居場所がない。自分は市民権を持たず、機械と製品の仲介者という資格で認められている異邦人に過ぎないという事実が、身も心も傷つける」(工場日記)

 

人間を苦しめるものとして、

たとえば敗戦。

そして軍服姿のドイツ兵の光景。

たとえばルノー工場での身分証明書。

こうした象徴が、毎日のよう頻繁に姿をあらわすとき、そこには不幸がある」(重力と恩寵)

 

現実の戦争、国葬、コロナ、原発…の情景と重なる。

シモ―ヌ・ヴェイユの両親は、過労状態で衰弱した彼女をポルトガルへ療養のために転地させた。

ポルトガルでは農民と暮らして、キリスト教に目覚める。

その後、工場体験はやめ、教職に復帰したが、すぐに教壇を去り、スペイン内戦に参加する。

平和主義者だったシモ―ヌ・ヴェイユが義勇兵になる。

戦争の醜さ、愚かさを実体験してから、どのように変わったのか?それとも変わらなかったのか?

次回は、「重力と恩寵」の 恩寵について書きたい。