人間の条件③アーレントの生きた時代 | あらかんスクラップブック

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60代の哀歓こもごも

戦後77年、先の戦争を振り返る8月が、また巡ってきた。戦争の記憶がなくとも、戦争を風化させないための取り組みが全国各地で行われており、TVなどで紹介される。

今年は、ウクライナ侵攻で、戦争が進行中。核の脅威も現実のものとなった。この国は、大丈夫だろうか? 

 

ハンナ・アーレントは、1906年にドイツで生まれた。両親ともにユダヤ人で、父は電気技師の中産階級。両親はユダヤ教を信仰してなくて、社会民主主義者であった。子どもの頃は政治には無関心だったという。

父は8歳の時に死亡。

 母マルタと

 

母の教えで、反ユダヤ主義の教師の授業はボイコットし、退学処分になったというが、12歳でロシア革命。13歳で長引いていた第一次大戦が終り、皇帝退位、ドイツ共和国成立。スパルタクス団蜂起の共産主義革命、ローザ・ルクセンブルク殺害を経て、ワイマール憲法施行…という時代。

ローザ・ルクセンブルク

 

ハンナ・アーレントは14歳で、哲学に目覚め、大学の聴講生になった。

大学時代のアレント

 

17歳で、マールブルク大学、その後、20歳でフライブルク大学、ハイデルベルク大学でも聴講。哲学と神学、社会学などを学んだ。政治的問題への関心を高めるようになる。

マールブルク大学の師で恋愛関係にあったハイデガーは、後にナチ党員になる。

 

ハイデルベルク大学の師である、ヤスパースは、妻がユダヤ人だったため、教授の職から追われる。

 

そのころ、ソ連はスターリン時代。23歳でシュテルンと結婚してからも、反ナチ活動でゲシュタポに逮捕されて拘留されたりしている。

シュテルンとアーレント

 

ヒットラーが政権を取る前に、母親とフランスに亡命。ユダヤ人のパレスチナ移住支援に参加。夫シュテルンは入ヨークに去り、離婚。第二次大戦勃発。

25歳でハインリヒ・ブリュッヒャーと再婚


フランス政府がドイツ人を集めた収容所に送られたが、パリ陥落で、収容所を脱出する。 友人のベンヤミンは逃げとおせることができなくてモルヒネで自殺する(他殺説も)。


ウォルター・ベンヤミン


1941年、35歳でフランスを出国して、夫とアメリカに亡命するまでの波乱万丈の人生。 生きた時代、場所。政治体制。彼女がユダヤ人の出自と向き合うことは、生きるか死ぬかの迫害を受けること。きついね。若いときに漂白を余儀なくされて無国籍者になっていたが、ピザをどうにか取得し、アメリカにたどり着く。

 

人間による人間の無用化。 アーレントが「全体主義の起源」について構想をもったのは、アメリカ亡命後で、出版は1951年。

全体主義がどのように人々の中で結実していったか、とことん分析した。

ウクライナの惨状を映像でリアルタイムにみることのできる私たちは、戦争が現実味を帯びてきていることを実感する。

イデオロギーとプロパガンダだけで、大衆は戦争に加担するのではない。 「労働する動物」が全体主義に陥らないために、「活動」が必要。活動というのは、簡単にいえば、他者とのコミュニケーションで公的な範囲を増やすこと。 私はこの活動に深く共感してるので紹介したい。

 

→この回に画像を移動しました。

 

ローザ・ルクセンブルクとハンナ・アーレント。

ドイツの伝記映画があります。いずれも監督は、マルガレーテ・フォン・トロッタで、主演は、バーバラ・スコヴァ。

私は両方、観たよ。