人間の条件②労働と仕事 | あらかんスクラップブック

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60代の哀歓こもごも



 

コロナで、日常がガラッと変わった。

一番大変なのは、現役で働いている人たち。コロナ禍で働き続けるのは大変だ。

自己責任ではない降りかかった災難に、労働とは何だろう? なぜ人間は働かなくてはならないのだろうと、考えた人も多いのではないか。
労働がなければ、生命を維持できない。 ゼニがなきゃ生きていけないでしょと、そこで思考停止しても、なにかモヤモヤする。

 

そんな人にアレントの考えた人間の活動の3つのカテゴリーの一番目、労働を紹介しよう。

 

 

労働してお金を稼ぎ、必要なものを購入して、それを消費することによって、私たちは生き続けることができる。だから、労働の人間的条件は生命それ自体である。

 

「働かざる者食うべからず」ってね。働けない障がい者とか、生活保護バッシング、ニートや引きこもり、アーティストなんかを傷つけるのに使われる嫌な言葉だ。

 

おススメ本①

アーレントとハイデガー

35歳のハイデガーと18歳のアレント。ハイデガーは妻子持ちながら教え子の未成年に手を出しちゃった。往復書簡が残っている。人の不倫はめちゃ面白い。

 

はい、次。人間の活動その②は、仕事

はぁ~? 仕事も労働も同じでしょと思ってしまうが、西欧では、この二つは別物だと考えられてきたし、アレントは「仕事」をこのように定義する。

人間存在の非日常性に対する営み。…仕事はすべての自然環境と際立って異なる物の人工的世界を創り出す。…仕事の人間の条件は世界性である。

めんどっちいけど、わからないことは考えて自分で解釈をしてみよう。

生産物の違いに注目すれば、労働の生産物は消費財 仕事の生産物は使用対象物。 アレントは労働を台所、仕事をタイプライターと例えたよ。台所でつくられた食事は、すぐに食べられてしまって、また次の食事を作るというように循環する。一方、タイプライターで作品を書けば、それが時や空間を超えて読み継がれる。仕事の生産物には耐久性があり、労働のような生命の自然過程から外れた行為によって人工的な世界をつくる。

私は、野菜を作ってるし、手作りで服とか棚などを作るから、労働も仕事もやってるね。 家を出て賃仕事で稼いでなくても、何か役に立つものを製作したり、有用性がなくても芸術作品を生み出すのも「仕事」。それが仕事の世界性。

 

このアーレントの労働と仕事の分け方については、批判や反論がある。

労働で耐久性のある使用物を生産したり、仕事ですぐ壊れるようなものを作るのは消費と同じだから、その活動は労働だろうとか…。

でも、定義づけに、いちゃもんつけるなよというのが私の意見。アハハ…。

 

おススメ本②

アーレント=ヤスパース往復書簡

43年もやりとりが続いたみたいね。

 

 

さて、働くの大好きニッポンでは、60~70歳くらいの年寄りは、「なぜ働かないの?」と責められる。お金持ちには言わないが…。労働=勤勉、怠け者は働かないという労働観。私は、「難聴」とか、「頻尿」とか、はたまた外反母趾だとか…とか言って、それ以上追及されるを避けているが、ほんとうは「なぜ、働かなきゃならないの。貧乏人は働かなきゃならないの?年金カツカツで生活するのがなぜ悪い。」と言いたいとこだけど。私を働かないから怠け者というのは誤り。「忙しそうね」とよく言われる。充実している。労働もしているし、仕事もしている。 賃仕事という労働をやってないだけだ。

 

なんで、労働にそんなに価値を置くのか。

西欧世界、古代ギリシャ、アテネのポリスでは「労働」は、軽蔑と忌避の対象で、奴隷や女が担うべきものだった。労働は、何も成果を残さない骨折り仕事で、自由市民(男)はやらない。

このような伝統は、近代になって一変する。労働が社会の中心的な価値。ジョン・ロック、アダム・スミス、そしてカール・マルクス。

労働はすべての財産の源泉。マルクスに至っては、労働が人間と動物を区別する基準で、人間の最高の世界建設能力と労働を賛美した。

アリストテレスは、人間を「政治的動物」、「理性的動物」と定義したが、マルクスは「労働する動物」とし、西欧政治思想の伝統をひっくりかえした。

この本の中の「労働」の章の最初に、アレントは「この章ではマルクスが批判されるであろう」と書く。彼女はマルクスが西欧近代政治を覆した功績を評価し、これからの社会が労働者社会であることを理解しつつも、マルクスの労働思想を批判せずにはいられなかった。

彼女は、人間の活動における労働の概念が拡大し、仕事や活動が占めるべき領域まで侵犯してくるのに危機感を感じていた。

 

大統領や国王や首相でさえ、自分たちの公務を社会の生活に必要な賃金労働であると考え…〈労働する動物〉が勝利した社会に生きている。

個体の生命は生命過程の一部となり、労働すること、つまり自分自身の生命と自分の家族の生命の存続を保証することだけが求められる。

 

それは、全体主義の出現へと結びつくと、最終章で述べている。マルクス主義が全体主義に結びつくことは、後に、ソ連で証明された。

この本の最終節に、

労働社会の最終段階である賃労働者の社会は、そのメンバーに純粋いに自動的な機能の働きを要求する。それはあたかも、個体の生命が種の総合的な生命過程の中に浸されたようであり、個体が自分から決定しなけらばならないのは、ただその個別性を放棄するという事だけであり、行動の幻惑された「鎮静された」タイプに黙従するということだけであるかのようである。

 

「仕事・製作」の章について、好きな文章があるので紹介したい。

私たちの身体的な労働とは区別されるー 作り、そして文字通り「働きかける」工作的人間は、労働しそして「(自然と)混じり合っていく」労働的動物と区別されるー、私たちの手になる制作は、尽きることなきさまざまな事物を作っていくが、その総和が、人為的制作物を構成する。

死すべき定めにある生のむなしさと、人間の時間のはかなき性質に、永続性と持続性を授ける。

 

手仕事礼賛。労働が肉体を使うなら、仕事は手仕事。手仕事でつくられた事物の美しさは直接的な有用性はなくとも、作り手の行為が個をこえて、公共の利益となる。

 

アレントは、人間の活動性を3つのカテゴリーに分けた。労働、仕事、そして活動である。活動は、労働や仕事と異なり、人間対人間でなされ、それは、言葉を通じたコミュニケーションで対等性を要求する。公と私、政治についても書きたい。

 

おススメ本③

ハンナ・アーレント伝

伝記でいちばん!

 

 おススメ本④

アーレント、ブリュッヒャー往復書簡

再婚相手との300あまりのやりとり。アーレントのほうが5年長生きした。