近くのバラ園に行ってきた。
今年の春のバラは、新コロナで休園だったので、秋のバラ。
秋咲くバラは、春に比べて種類も数も少ないが、香りが楽しみ。
でも、少し時期が遅いのか、香りのバラも開いてしまって、マスクを外して、鼻をくっつけても、あまり香りはなかった。
なぜか、赤、それも暗い赤色のバラがやたら目に付いた。 暗い赤は、血を連想させる。
途中で休憩している時に、斎藤史(ふみ)の歌のことを思った。
年月を逆撫でゆけば足とどまるかの 処刑死の繋ぎ柱に『ひたくれなゐ』
私は「ひたくれなゐ」(1976)という歌集をもっている。
斎藤史は 1909年生まれ、2002年に93歳で亡くなる。
17歳のときに若山牧水のすすめで短歌を始めて、生涯歌を詠んだ。
史の父は、陸軍師団の参謀長であり歌人の斎藤劉。 劉は、退役後の1936年に二・二六事件の幇助の罪で、禁固5年の刑を受ける。 史の小学校で幼馴染の栗原安秀や坂井直は銃殺刑。
そのとき、史は14歳。
時の権力の前で為すすべもなく、友が処刑されていった。その慟哭の思いを生涯、引きずって、文学テーマとした。
短歌は、難解だ。 特に近代、現代短歌。 詠んだ人の背景や心理が理解できないと、チンプンカンプン。
だから、やたら解説書が多い。
斎藤史は、その点、二・二六事件の経験による思念が元になっているし、時の経過に従って、表現を練り上げていくというのが、みごとだ。
かな書の創作をやるときに、斎藤史は、感情移入しやすいので、いい作品に仕上がる。
「ひたくれなゐ」は、史が老いた母と病の夫を抱えて介護に明け暮れる状態のときに読まれた。
斎藤史は、戦時中疎開した信州安曇野の地で、生涯を送った。
W介護での肉体の疲労、閉塞感のなかで、自分の内面の思いを象徴的に事物に託して、言葉にする。 肉体的にはかなり疲れているだろうに、精神は決して疲弊していないのは驚きだ。
それに、信州という風土や、歳をとった柔軟さが、この「ひたくれなゐ」にはあり、素人ながら、とても共感する。
好きな歌を紹介します。解説しません。
読みやすいように字間に、少しブランクを空けました。
音律というのが、よくわからないので、テキトーです。
山坂を髪乱れつつ来しからに われも信濃の願人の姥
踏みしだく花のむらさきたちまちに過ぎぬ 中年というときもまた
雪来るにすなはち啖はむ 若雛の肝むらさきを・胎卵の朱を
老母すでに在らざるごとしころ伏して 眠れるものは小さきぬけがら
白うさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば 眼を開き居り
五七五七七の音韻の言語空間は、無限だ。
歌人というのは、当たり前だけど、私みたいに指を折って、口に出しながら作ったりしない。 もうこの韻律が内在化されていて、表現を通して精神の深みが顕れる。
日本のすばらしい文化。 もっと国語の時間に、短歌、俳句、詩などをやったらどうか? ろくでもない道徳の時間を廃止し、代わりに「詩歌」の時間を設けて、地元の詩人、俳人、歌人を導き手として、遠足でもしてみんなで作詩、作歌をして、披露しあう…。
いいアイデアでしょ。 文科省考えてくれないかな?
私は、バラ園で休んだあと、カフェでランチをしてチャリで帰りました。
バラ園のひたくれなゐのバラ、斎藤史さんの晩年の画像に添えて、
もう少し紹介しましょう。
秋のバラは、一株にできる数は少ないようです。 だから、花のひとつひとつが、その株の精力を表すかのように毅然と咲きます。 気温が低いので、満開になっても散るまで長く咲きます。
春バラは、満開を過ぎると、老醜をさらした貴婦人のようで、美しくない。雨で、散る前に茶色く腐ったようになったりして…。
まだまだ、撮ってきたので、満開の秋バラをひとつずつ紹介します。
名前を控えてくればよかった…。