歴史画の大家「安田靫彦画伯」考証の建築物。

 

先日まで大磯の旧安田善次郎別荘や良寛堂、そして新井旅館 観音堂をご紹介してきました。

 

安田画伯は、明治41年に美術学院より選抜され、奈良に研究を兼ねて美術の取り調べを託されました。

 

奈良に留学中には、法隆寺など様々な歴史的建造物なども研究されていたのかと思います。

 

その安田靫彦画伯の設計による「天平大浴堂」という登録有形文化財の建造物が新井旅館には残されています。

 

 

昭和7年の「天平大浴堂」の設計図です。

 

 

 

青焼きの図面で、「修善寺新井旅館あやめの湯改築工事設計図」と書かれています。

 

新井旅館の明治から大正にかけてのメインのお風呂は「あやめの湯」

 

源頼政の側室「菖蒲の前」ご入浴のお風呂、ということで名前が付けられていました。

 

「天平大浴堂」の名前は完成された後につけられています。

 

設計者名は、

 

 

安田靭彦・中村鎮(まもる)と書かれています。

 

中村鎮先生は、日本における鉄筋コンクリート技術の先駆者です。

 

昭和6年、「あやめの湯」を改修する際、新井旅館では当時流行っていたローマ風呂の形を計画していました。

 

そのため、知人であった鉄筋コンクリート技術の先駆者である中村鎮先生に設計をお願いしていましたが、安田画伯から「日本建築のお風呂を造るべき」と提案され、変更になりました。

 

そして、安田画伯が描いた新しい「あやめの湯」の形が、現在の天平大浴堂となりました。

 

 

安田画伯が描いた「天平大浴堂」の構想は、この建物を模しています→2018年12月28日の日記

 

 

 

 

 

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