新井旅館では、平成10年に国の有形文化財の登録を受け、



館内を御案内する


文化財ガイド


を10時・15時・16時(16時は宿泊者のみ)の3回


毎日行っています。


その案内でも話される 「新井旅館の歴史」 の一部を数回に分けて御案内しております。



第一回 青州楼の話はこちらをクリック


第二回 明治32年の話はこちらをクリック


第三回 日本美術院の話はこちらをクリック



明治41年


現在客室として使用しております棟としては一番古い建物


「霞の棟」が完成しました。

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この建物は桂川沿いの木造三階の建物で、


素材は「一に赤松、二に赤杉」といわれる


樹齢300年といわれる千頭の赤松の芯去り材を使っています。


(芯去り材=木の芯は割れやすいので、芯の部分は使わずにそのほかの部分のみ使用する)




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二階の「霞の七番」は、別名「高砂の間」とも呼ばれ、


二間続きの部屋は初代中村吉右衛門一家横山大観がこよなく好み、


大観は表具師を連れてよくお泊まりになっておりました。


霞の棟の話はこちらをクリック




同年9月、当時東京日々新聞の記者であった岡本綺堂は、


遅ればせながらの夏休みで宿泊。


芝居通の新井旅館三代目相原沐芳との語り合いの中で、


修禅寺に残る古面の話や、源頼家の墓の話をヒントに


「修禅寺物語」の構想を打ち立て、


明治44年明治座で初演されると、左団次の夜叉王が大ヒット、


綺堂は一流劇作家としての地位を築き上げ、


修善寺もまた一躍全国に知られるようになりました。


修禅寺物語の話はこちらをクリック


(つづく)



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