私のプーチン評 | araのブログ

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プーチンさんとは?

 

私の最初は、元KGBってことで、斜めに見ていた、読んでいた。

 

一癖も二癖もある人物であると、そんな見方をしていても

 

不自然ではなかった。

 

それを一変させてもらったのは、あの韓国の哨戒艦 (天安) の

 

真っ二つ事件だった。

 

私は、日本でも米国でもシークレットとなるこの事件を探って

 

いた。

 

韓国が、北朝鮮の仕業によるものと発表したものが1週間後、

 

そしてアメリカが同じく発表したのが約1か月後、当初より

 

これはおかしいと睨んでいた。

 

今まで何でもアメリカは、敵国のした情報に関しては常に

 

いの一番に発表しているのが筋であるからだ。

 

それよりも、敵の攻撃ではなくても常に監視している風を装う、

 

また常に敵が不利に陥る情報を率先して流しているアメリカが、

 

約1か月後の発表という不自然。

 

いやそれよりも、私は北朝鮮を監視しなければならない哨戒艦が

 

真っ二つになった、という事で興味津々となった。

 

それは戦争を誘発するものでもあるからだ。

 

なのに、アメリカからの情報も、韓国からの情報も一切入らない

 

日々が続いた。

 

私は韓国の三流新聞、週刊誌、SNS等を隈なく探した、どうも

 

おかしい?怪しい?

 

北朝鮮の潜水艦がどうたらこうたら、いろいろな情報があちら

 

こちらから集まった。

 

まあ結論から言えば、アメリカの原潜がどうやら衝突したらし

 

い、という結論が導きだされた。

 

結果、原潜は沈没して多大な死者を出すことになった。

 

原因は、天安が北朝鮮から見えなくなった島影で一休みした結果、

 

その海域の流れで流されて砂礫に衝突して、脱出しようとして

 

スクリュウがねじ曲がってしまった、そのままフラフラと

 

右往左往しながら操船していたが、生憎とそこが原潜の

 

浮上地点であったのだ。

 

島近辺は次第に浅くなってくるためにどうしても潜水艦は浮上

 

しなければならない場所というものがあるのだが、それが

 

天安艦の方に徹底出来ていなかった可能性が高い。

 

それらのことの顛末がすべて、天安艦が引き上げられたことで

 

物語っていた。

 

米韓軍事演習後の時間もそれほど経っていない時での事件で

 

あった。

 

このようにまだ証明されていない時の、ロシアプーチンさんと

 

習さんのアメリカへの思いやりからのお手伝いの声掛けが

 

非常に優しかった。

 

二人とも、アメリカや韓国に対しての同情心からの声掛けで

 

あったのだ。

 

二人は事の顛末をやや理解していた。

 

そこから私のプーチン評と習さん評が変わった。

 

この顛末は、日本人もアメリカ人の多くの人々は知らない、

 

SNSで私と共に語り合った人と一部のひとだけが 知っている

 

事実である。

 

私の心は、180度違ったプーチン評となった。

 

娘さんが「ロシアは人を大切にする国です」と語っていたのをつくづく

 

私には理解できる。

 

プーチンさんは「動物でありながらも人間性が強い豊かな人」

 

なのだ。

 

だからドンバスの住民が皆殺しにされるのを黙って見ていられ

 

なかったと思う。

 

ゼレンスキーさんは「挑戦的であり、好戦性の強い動物性が

 

激しく、強く出ていて、人間性、人間味の薄い人」 だから、

 

ロシアという大国であるにも関わらず自国人民の不幸を顧みず

 

に向かって行けるのだ。

 

人間味のある人はできるだけ戦争を回避する方策に出る。

 

その上を行く人がアメリカバイデンさん、この方の動物性、

 

好戦性は群を抜いている。

 

ウクライナ国民兵士が何人死のうとも棲み処を終われようとも

 

我れ関せずで、申し訳無さなど微塵も思わない強者である。

 

然もそれを微笑んで「ノルドストリームを破壊する」と語れる

 

人なのだから恐れ入る。

 

 

プーチンさんの人となりは、敵方のジャーナリストたちと意見

 

交換ができる程豊かな見識を擁して、彼らを煙に巻ける弁舌を

 

持つ、一般の人々との1年に一回の意見交換もして来た実績も

 

伊達ではない。

 

彼の考えを聞くにつけ多くの人が魅了されてしまうのは仕方が

 

無いのだ。

 

それは結局のところ頭の良さだけでなく、強い人間性という

 

ものが下敷きに有るからだろうと思う。

 

こういう人が首脳として果たして世界に居るのだろうか、と

 

思わざるを得ない、したがって私は今回のしつこさから

 

バイデンさんのプーチンさんへの「男としての嫉妬」が根底に

 

有るやも知れぬと読み切った。

 

 

 

プーチン評が簡単過ぎますが、アメリカの心を韓国人の心を

 

「思いやる」という気持ちが日本人の心にも共鳴していて

 

納得するのです。

 

国民の命、所産というものを大切に思うか、それとも国という

 

抽象的概念を大切に思うかで、「思いやりの真髄」 が見えて

 

来る。

 

貧富の差を喜んで拡大するのを私たちの求めた「民主主義」 

 

とは言わない。

 

日本国を民主主義と思いこんでいる人は心が偏向している人で

 

す。