『金と銀2』

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  筋を通す物語に胸がすきます

 

高田郁さんの原作『あきない世傳 金と銀』、シーズン2が始まりました。崖っぷちにたった五十鈴屋の、起死回生の策として誕生させた「浜羽二重」、正月から売り出すというところでシーズン1は終わりました。

シーズン2は、その直後からの物語です。ほんとうに正月二日のお披露目から始まりました。まるで先週までシーズン1を放送していたかのようでした。

こういうとき大概、「浜羽二重」の誕生までのダイジェストが流れるものですけれど、今回はそれもなくて、スタッフさんが『どんどん前へ進みましょう。商いの道は続いてまっせ。振り返ってる暇はありません」とでも言っているかのような勢いを感じました。

 

 

このドラマ、とくにシーズン2で感じるのですけれど、見ていて気持ちいい。それは、筋が通っている!からです。時代劇はそもそも「スジを通す世界」ですけれど、小芝風花さんや松本怜生さんを中心とした若い人たちのスジの通し方は、フレッシュで明るく、知恵があって、胸がすきます。

 

 

余談ですが、「スジを通す」と「正義」は違います。「スジを通す」は、<道理にかなっている><言動が一貫している>ということで、正義かどうか、というのとはちょっと違います。ドラマのなかにはいっぱいエピソードがあるのですけれど、たとえば

 

 

 

 

 

 

  わてらがネコババしたらどうないするおつもりです?

 

たとえば、1話。

シーズン1で五十鈴屋を去っていた手代の伝七と留七。ふたりが奉公していた店が潰れたというのを聞いて、大事な話がありますと店に呼びます。

 

「ふたりにまた五十鈴屋の反物を売ってほしいのや」と頼みますが、ふたりは断ります。今更出戻るわけにはいかない。その決意は固いようです。が!!

 

「奉公人に戻ってほしいとは言うてません」と智蔵(松本怜生さん)、「ちかごろ浜羽二重ばかりが売れて縮緬や紬が売れ残って弱ってますのや。反物を預けるさかいに大阪の外で売ってもらえませんか」と提案します。いわゆる行商(背負い売り/しょいうり)ですね。店こそ持たないけれど、それぞれが主ということです。

 

 

伝七も留七もびっくり。反物を仕入れる元手がないと言うと、幸が「蔵の反物はお貸ししますよって、まずは半年期限をきって、売れた分はもとでに少利を乗せて払うてもらいます」と説明。

留七はまたまた驚き、「(商品預かるカタもありません)、わてらがネコババしたら、どないするおつもりだす?」

「ふたりにかぎって、そないなことするはずがおまへん」

 

 

全部スジが通っているじゃないですか!

 

見ているとき実はわたしもてっきり、店に戻ってほしいと頼むのだと思っていました。違うんですね。幸も智蔵も、手代たちの心情を十分わかっていたし、そして何より、五十鈴屋がかかえていた問題も(浜羽二重ばかりが売れる。他の反物が売れない。売り手がいない)同時に解決する策を考えていたのですね。ほんとうに筋を通す、そして知恵のある五十鈴屋夫婦です。

 

 

そしてこのあと、伝七たちは反物を完売し、五十鈴屋の新たな「販路」を開拓することになります。あれよあれよと店は大きくなっていきます。

 

 

 

う~ん、桔梗屋さんの買い取りエピソードのほうを書けば良かったですかね? そのほうがスケールが大きいし、スジの通し方もわかりやすいびっくり 取り上げたいエピソードがいっぱいで困ります。小芝風花さんも風格が出てきたし、松本怜生さんは初めて見ますけれど笑い泣き落ち着いた良い感じで、ふたり夫婦役いきがぴったりです。