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本日モ晴天ナリ (とけいのじかん)

趣味のイラストを添えて、風の向くまま気の向くままに、思いついたことを書いていきます。

 

とけいのじかん5

えんぴつと腕時計

 

令和の今でも鉛筆を小刀で削っている。

 

 

 

子供のころはハンドルのついた手動の鉛筆削りを使っていたけど、すぐに電動に替わった。

必要もないのにガリガリ削って怒られた想い出がある。

その後、またたく間にシャープペンシルが普及したので、テストとか試験のとき以外は木製の鉛筆は使わなくなったが、高校に進学して鉛筆デッサンを学ぶようになってから再び使いはじめた。

キャンバスやスケッチブックに絵を描くのと、ノートに文字を書くのとでは鉛筆の角度や力加減が全く異なるので、芯を好みの長さや細さに削るためには電動の鉛筆削りよりも小刀が便利である。

確か小刀で鉛筆を削って使うようになったのは、それからだったと思う。

 

今持っているのは2代目だ。

初代はどこかへ失くしてしまって新しく買い替えたのだが、それからでも優に四半世紀は過ぎているだろう。

長く使っているとだんだん切れ味が落ちてくるけれど、台所にある包丁用の砥石で軽く研いでやると簡単にまた切れるようになる。

電動の鉛筆削りなんかは切れ味が落ちてくると捨てるしかないだろうが、道具もアナログであればあるほど長持ちするものだ。

ちなみに、カッターは刃が木の部分に食い込み過ぎて意外に上手く削れないし、芯を削るとすぐに切れなくなってしまう。

こと鉛筆を削るなら昔ながらの小刀のほうが自分は使いやすいし、やはり道具はなるべく使い捨てにしたくない。

 

とにかく、そのころ買い集めた鉛筆が今だに山ほど残っている。

未使用のものは、どこかへ寄付してもいいかもしれないが、中途半端に削ってしまったものは自分で使い切るべきだろう。

そんな理由もあって未だに鉛筆で絵を描いている。

ただ、あまり短くなると持ちづらくなるので、これまた昔ながらの鉛筆ホルダーも使っている。

このホルダーはキャップと本体を留めるネジの部分が真鍮製で、しっかりと鉛筆を固定できて使いやすい。

がたつきや緩みが少ないので重宝するから、これも長く使っている。

 

 

 

 

それでも中途半端な長さで残っているのも含めて鉛筆は一生かかっても使い切れそうもないくらいある。

手持ちの画材や文房具はすでに30年くらい使っているものばかりだけれど、これからも使い続けることになりそうだ。

正に一生モノである。

(`・ω・´)b

 

 

さて、実は先日腕時計のローテーションを少しだけ変える。

家族に隠れて、こっそり使っているプレザージュを加えた。

10万円以下の腕時計だから、この世界では入門機扱いだけど、値段以上に高級感があって意外に目立つと自分では想っている。

 

 

 

見とがめられたら面倒だからこっそり使っているが、これもただの自意識過剰といえばそれまでだろう。

人間というのは不思議な生き物で、気に入った物を堂々と見せびらかしたいと思う一方、隠れてこっそり楽しみたいという気持ちもある。

中学生くらいの悪ガキが隠れてタバコを吸ったり酒を飲んだりする楽しさと、ひょっとすると似ているかもしれない。

要するに敢えてコソコソ使って楽しんでいる。

 

この12時から4時くらいの範囲にまたがる目盛りはパワーリザーブインジケーターだ。

あの時計ハカセも今まで目にしたことのない画期的なデザインだと評価していた。

でも、6時位置にあるスモールダイアル式の日付け表示は、数字が小さ過ぎて老眼鏡なしでは全く読めない。

まあ、アクセントとしては効いているだろう。

つまり私にとっては立派な飾りの一つだ。

 

 

 

リューズにはSマークがあってセイコー信者は密かに自慢に思っていたりする。

 

 

 

ただ、近年流行している三つ折れバックル式の留め金具はいかがなものか。

実際に普段使いしてみるとパソコンの入力作業等のデスクワークでは金具が手首の裏側にめり込んで痛い思いをすることがある。

個人的には昔ながらの尾錠のほうが使いやすい。

もちろん、これは好みの問題もある。

 

 

ともあれ自分はどちらかというと、時計でもブログでも、こそこそ愛好しているほうだ。

そう言えば時計愛好者も、見せびらかしたいタイプと、さりげなく使いたいタイプに大きく分けることができるかもしれない。

前者は欧米ブランド愛好者が多くて、後者は国産ブランド愛好者が多いとまで言ったらやはり偏見だろうか。

いずれにしてもアナログな道具が大好きな昭和生まれの独り言ということで御寛恕(かんじょ)願いたい。

(*-)ふ~ん