≪12月8日生まれの音楽家たち≫
昨日1年と数ヶ月続けた
ボディコンバットのクラスが
ラストとなりました。
先生がお辞めになるため、
来月からは先生も日時も
大幅に変わってしまいます。
仕事の都合で合わないワタクシは
ボディコンバットは
ここまでになりそうです。
ハードなエクササイズでしたが、
やはり音楽に合わせてが
楽しかったです。
次はまた違う場所で
日時の合うエクササイズを
検討中です。
フラワーアートは
お辞めになる先生に
お渡ししたもの。
喜んでくださりました
良かった良かった
では本日分をどうぞ
シベリウス(ヤン・シベリウス;Jean Sibelius)
1865年12月8日~1957年9月20日(享年91歳)
フィンランド;ハメーンリンナ
作曲家。本人が「ジャン」と名乗ったこともあるそうで、
そのように記載される場合もあります
交響詩「フィンランディア」、
レミンカイネン組曲(交響詩「トゥオネラの白鳥」がその中の1曲)、
交響曲第1~7番など
シベリウスはムーミンでも有名な
フィンランド出身の作曲家です!
(実はムーミンフリークです。
最近フィンランド語に夢中です)
北欧の音楽はその気候のせいか
冴え冴えとしていて静謐という
言葉がよく似合います。
彼が作曲を学んだのは20歳の頃。
ヘルシンキ音楽院ででした。
その後ベルリンへ留学、
作品も多く生み出していきますが
かの有名な交響詩「フィンランディア」が生まれたのは
1899年の愛国記念劇」が元。
第7曲を改作、あの名曲が生まれたのです。
しかし彼が作曲を行ったのは1925年ごろまで。
その後30年あまりは沈黙を続けました。
その間彼は北欧では陥りやすい精神の病に
罹患していたようです。
サミー(サミー・デイビス・ジュニア;Sammy Davis Jr.)
1925年12月8日~1990年5月16日(享年64歳)
アメリカ;ハーレム
ミュージシャン。
「ジュニア」ということは
上の世代に同じなの人がいるということで、
その名は父親が名乗っていました。
彼と区別するために父親は
「サミー・デイビス・シニア」というようです。
ボードビリアン(歌や踊り・黙劇を主とした風俗劇)で
あった父親について芸人の様々なことを
知ったのかと思われます。
そのおかげでニューヨークで評判となりますが、
人種差別に長い間悩まされることとなります。
更に1954年には左目を
交通事故で失うというアクシデントも。
そういった逆境にもめげずに1956年、
人種差別を題材にしている
「ゴールデン・ボーイ」に出演します。
そしてミュージカルの最高賞ともいわれる
トニー賞をノミネートされます。
しかし中々正当評価されず、
そのなかで手を差し伸べたのが
フランク・シナトラだったといいます。
その頃から映画出演が多くなり、
「ベニー・グットマン物語」「オーシャンと11人の仲間」
「キャノンボール」など多くの映画に出演しています。
そしてようやく評価がされていくこととなるのです。
彼が亡くなった夜、
彼に追悼の念を込めてラスベガス中のライトが
いっせいに消されたそうです。
ジム(ジム・モリソン;Jim Morrison)
1943年12月8日~1971年7月3日(享年27歳)
アメリカ;メルボルン
ミュージシャン。本名;James Douglas Morrison。
ドアーズのヴォーカル
出身地のアメリカ・メルボルンはミスではなく、
フロリダ州にそういう地名があります。あしからず。
海軍軍人であった父を持つ彼は
作家や詩人に憧れますが、
UCLAの映画科に進みます。
そこで後のドアーズメンバーに会い、
結成へと向かうことになります。
1枚目のアルバムは今でこそ
「ハートに火をつけて」や
「The end(地獄の黙示録で有名です)」で
よく知られた曲ばかりですが、
当時は売れませんでした。
売れるようになったのは2枚目のアルバム。
「Light my fire」でトップスターへ。
その後7枚のアルバムを出すことになります。
しかし彼もその頃の
ロックミュージシャンにありがちな
ドラッグやアルコールの過剰摂取で
舞台に立つことも困難になっていきます。
そして7枚目のアルバム発売直後、
入浴中に謎の死を遂げます。
様々な憶測が飛びますが
真実は闇の中のようです。