<5月7日生まれの音楽家たち>
ワタクシの部屋は
本だらけで
これ以上は置く場所の
確保が…
そこで前々から
思ってはいましたが
紙媒体が結構好きなので
迷っていた
電子書籍に一部は
しようと決意。
その後部屋が片付くと
いいのですが、ね。
では本日分をどうぞ
ブラームス(ヨハネス・ブラームス;Johannes Brahms)
1833年5月7日~1897年4月3日(享年63歳)
ドイツ;ハンブルグ
作曲家。
交響曲第1~4番、弦楽5重奏曲及び6重奏曲第1~2番、
弦楽4重奏曲及びピアノ3重奏曲第1~3番など
彼の父はコントラバス奏者であったことから、
幼い頃から「音楽の耳」を
養い培ってきただろうと推測されます。
その才能の一端を思わせるのが、
だいぶ後の20歳になってからですが
その時の演奏旅行にてです。
その演奏ではヴァイオリンの伴奏で
ステージに立つ予定でしたが、
そこのピアノが半音ほど低く
調律されていたため、
演奏時に調性を変えて
演奏したというエピソード。
少しでもピアノを習ったことがある方なら、
それがどんなに大変なことか
お分かりかと思います。
(そう、大変なんです…何も知らない方は
簡単におっしゃって下さいますがね。
しかもヴァイオリンの伴奏曲って
結構難しい曲が多いですし)
また彼の交友関係にも
注目すべき点があります。
シューマンという作曲家は
「子供の情景~トロイメライ(夢)」で
有名な作曲家ですが、
精神面が非常に弱く、
自殺未遂を図っています。
その頃お腹に7人目の子供がいた
シューマンの妻であったクララや
その子供らの面倒を見るようになったことから
生涯友人として付き合うことになります。
指揮者のハンス・フォン・ビューローとも
交友があり、後になってブラームス自身が
指揮をするに至ったのは
彼の影響が大きかったとも言われています。
そんな彼は亡くなる1年前まで音楽活動をし
、脳卒中で倒れ、
その後肝臓がんに冒されます。
そして死期を悟った彼は
なくなる年の1897年2月に遺書を書き、
その2ヵ月後に亡くなります
チャイコフスキー(ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー;Peter iryich Tchaikovsky)
1840年5月7日~1893年11月6日(享年53歳)
ロシア;カムスコ・ヴォトキンスク
作曲家。
バレエ音楽「くるみ割り人形」「白鳥の湖」、
オペラ「スペードの女王」、
交響曲第1~6番など
チャイコフスキーは幼い頃から才能を発揮し、
4歳で母親に捧げる曲を書いています。
そして感受性が大変強かったといいます。
それを裏付けるエピソードとして、
音楽会で感動した曲が頭にこびりついて
眠れなかったという話が残っています。
そして8歳で法律学校の寄宿舎に入れられ、
母親にべったりだった彼にとって
これはかなりの苦痛だったようです。
チャイコフスキーといえば、
同性愛者であったことも有名な話です。
結婚はしましたが
それは真実の姿を隠しての偽りのもので、
妻のアントニナの性格とも合わなかったためか、
これも辛いものであったようです。
死因も最初はコレラによるものと
されていましたが、
近年では恋人関係であった貴族の親戚らから
秘密の裁判が開かれ
服毒自殺を強要されたというのが
一般的な考えのようです