「なんで麻のシャツを作ったの?」
僕はもともと、アパレルとは全く関係ない経歴で、
両親や友人からでさえ、「何でお前が」ということを
言われます。
デザインやファッションに関わる仕事をしたことも
なければ、特別ファッションに気を使うタイプでも
ありませんでした。
学生の頃は、部活のラグビーに熱中していましたし、
高校一年で留年してからは、気分が落ち込んで本を読んだり
ピアノを弾いたりと、自分で言っては何ですが、暗い
生活を送っていました。
あれ、あんまり麻とは関係ないですね。。

一番最初に麻に興味を持ったのは、高校生の頃、
とある洋服屋さんで買った、綿麻混合のTシャツが
とても着心地良かったということでした。
ただ、その頃は「気持ちいいな~」と思った位で、
麻というのが何なのか全くわかっていませんでした。
大麻やリネン、ラミーなど、麻という一つのカテゴリーの
中に含まれる繊維の種類が20近くあるということも、
全く知りませんでしたし、興味もありませんでした。
そのTシャツはよれよれになるまで着ていました。
高校3年の春休み、卒業を前にしてタイに一人で旅行
に行きました。
2週間近く行っていたのですが、バンコクのカオサン
というバックパッカーが集う安宿街から離れることなく、
ゲストハウスで日がなボ~と過ごしていました。
いや~暗いですね。。。

カオサンには、バックパッカーが集まることもありお土産屋さん
が沢山あります。どなたか存じ上げていませんが、勝手に拝借。
http://asian-cats.blog.so-net.ne.jp/2010-07-05
そこで、今思えばヘンプだと思いますが、生成りの麻のジャケット
を買って日本に持ち帰り、自分で茶色か紺かに染めた事を憶えています。
ジャケットと言っても、安宿街のお土産屋さんで買ったものなので、
そんなたいそうなものではありません。
何で、自分で染めたのでしょう。。
今考えてもよくわかりません。服を染める、という行為はその時
初めての事でしたし、やり方も誰に教わることなく、本か何かで
調べて染料を買いにいったのだと思います。
確か、東急ハンズで買ったような。。それか手芸屋さんか。。
ちなみに、染めるのに使った、実家の寸胴鍋に染料の匂いがついて、
母に文句を言われたのは憶えています。
大学に入り、いつかは記憶が確かではないですが、とあるブランドの
麻のシャツを買いました。リネンシャツですね。
肌触りが良かったから買ったのだと思います。
色も薄いピンクで奇麗でした。
それから、麻という素材に自覚的に興味を持ち、何着か麻のシャツ
を買った気がします。ただ、そのころは「麻」ということだけ
わかっていて、リネンやラミーなど、種類については全く知りません
でした。
何着か着ていて、段々と不満に感じてきたのは、


この2点です。
まあ、そんな不満を抱きながらも、別に自分で作ろうとはその時は
思ってもいませんでした。
大学を卒業して、会社勤めをはじめました。
その会社では色々と勉強させてもらいましたし、
今でも元の上司や、その時に知り合った方々にお世話になっています。
結局、その会社には7年程いたのですが、
3年程経った時から「このままでいいのだろうか」と考えることが
多くなりました。
特に、月曜日朝の通勤電車で良く思いました。
月曜日の朝に自殺する人が多い、というのをどこかで聞いたことが
あるのですが、月曜日には何かあるのうでしょう。
僕がよく考えたのは、「休日と平日」「仕事と遊び」という線引き
がある生活が馴染まないということでした。
今は毎日、仕事をしていますが、今の仕事というのは「真剣に遊んでいる」
という感じなので、実は仕事という認識がありません。
金銭のやり取り、それに伴う責任が発生するので、決して遊んでいるという
ことではないのですが。。
対人関係、金銭面、制作面、色々なプレッシャーはあるのですが、
それでも「仕事」という感じはありません。
僕が抱いていた「このままでいいのだろうか」という時よりかは、
納得した日々を過ごせていると思います。
この先、どうなるかは全くわからず、破産する可能性もありますが、
「このままでいいのだろうか」とは思う事がありません。
またちょっと話がずれましたね。。
会社勤めの生活に「?」を持つようになったころ、
「自分が着たいと心から思える麻のシャツはどうやれば作れるのか」
ということを、考えることがよくありました。
そこで、色々と調べていくと、滋賀県の湖東産地という琵琶湖の東側
が麻織物の産地で、今も工場や職人さんが残っているということがわかり、
週末を利用して、滋賀県に行くようになりました。
知り合いも誰もいないので、飛び込みですね。。
今思えば、よくあんなことしたなあという感じです。。
何社かの工場、何人かの職人さんにお会いさせていただきましたが、
なかなか自分が思い描くような形にすることができませんでした。
それは当たり前で、工場や職人さんからしたら、「何だこいつ」
という感じで、あちらとしても、僕が何をしたいのかわからなかったの
だと思います。
う~ん、どうしようと思いながらも、やはりモノを作る現場を
見せていただいたことが大きかったのか、自分の中で、どういう
麻のシャツを作りたいのかという具体的なイメージを持つ事ができるよう
になってきました。
恐らく、モノを作るにあたっての素材やデザインの知識というのは
学校で学ぶのだと思いますが、僕は邪道的な勉強の仕方をしていたのだなと、
今考えると思います。
滋賀への交通費が、学費といった感じでしょうか。
イメージを紙にまとめ、送ったのが、今もAQAのモノ作りにとても協力
いただいている林与さんです。
林与さんとの出会いから、AQAは本格的に動きだし、林与さんのご紹介で
縫製職人の北山さんにお会いすることができ、大変ご協力いただいて、
今に至っています。
林与さんの出会いから今までを大分というか丸々省略していますが。。。
なので、「なんで麻のシャツを作ったの?」というところに戻ると、
・自分の生き方に疑問を抱いていた
・何故か麻という素材にひかれていて、自分で着たいと思える
麻のシャツを作りたかったから
ということになるかなと。
長い、、ですね
