40歳を越えて看護学校に入学し、浪人生活を合わせて6年間かけて助産師になりました。このブログは助産学校在学中から暗黒の新人助産師時代を経て現在に至るまでの記録です。


現在は山形県でゆる~く看護師をしています。

たま~に誰かの心が軽くなればと、幼少期の性被害の経験やそれでも今は幸せに生きてるぜっ✨とお話をさせていただくこともあります。

世の中はお盆休み。

あんまり関係ない、阿部ゆう子です真顔



たぶん何度もこのブログに書いたことがあると思う。


私は長い間、年老いてきた母に対して「楽に死なせてなるものか」くらいの憎悪を抱いて生きてきた。


それはそれは、とってもとっても深い闇だったと思う。


他人(自分以外)に対して、そんだけのエネルギー使うってムダ以外のナニモノデモナイ。


そういうドロドロした形のないモノが全て私の中から無くなって、そこにあるモノとしての死体が怖くなくなった状態で母を見送ることができて本当に良かった。


嬉しくも悲しくもない。

ただ、目の前にある現実。



母の死に関することで一番印象的だったのは、母の信仰仲間であり、近所に住んでいた「竹藪のおばちゃん」が葬儀に現れたことだった。


どう考えても90歳は軽く越えているはず。


だって、私が幼稚園の頃からすでにおばちゃんだったもん。


足を引きずり、脇を抱えられながら現れた老婆が竹藪のおばちゃんであることはひと目でわかった。


彼女は母の死に涙を流しながら、私に何か語りかけてきた。


内容はなにも覚えていない。


ただ、母の死にはなんの感情も動かなかった私が、彼女の姿に涙した。


おばちゃんも母も、おそらく優しい人だった。


でも、強さが同じだけないと、使わなくて良いから牙を持たないと、自分も大切なものも守れないことを知らなかった。


誰かに助けてほしかった。


自分が強くなることは選択肢になかった。


だから、宗教にすがった。



宗教もスピリチュアルも悪くない。


そこに真理があることも否定しない。


依存が出発点でなければね。




ちなみに母の死でわかったことがある。


私と妹は、知らないうちに信者として登録されていたこと。


かなりのベテラン信者だぜ真顔 ✨


もちろん、脱会手続きいたしました。



我が家のベランダからの夕やけ