これは老女の備忘録として書いています。
私は美味しいものが好き、誰だって美味しいものが好きですよね。
それで、料理もつくります。自分が食べたいものをね。
それにしても、最近あらためて気づいたのですが、一時帰国していた友人が言ったのです。
「私はNYですっごく美味しいレストランで色々食べてきたから、どうしても味がわかっちゃうのよね」って。
私と一緒に某ホテルのレストランで食事をした時、そこのコース料理が気に入らなかったのかそう言いました。
私?私にはとっても美味しかったのですけれど・・・
それから、少し自分の味覚を疑ってみようと、外食する度に気を付けていたのです。
手料理の味付けも、併せて注意していました。
確かに、若い時のレシピで作った料理はちょっと甘すぎるとか、加齢により微妙に舌が変化してきたようです。
友人の言うように本物を知らないから?そうかもしれませんね・・。
でもね、いただく食事を美味しいと感じられるならいいじゃないですか。
つまりは、健康で、空腹感もあって、ということですものね。
子供の頃は、殆どどんな料理も食べられました。母の手作りの田舎料理もほぼ残さず(残したら父にこっぴどく叱られましたから)食べました。ただ、どうしても苦手な干しタラと白菜の煮物は、水を飲みながら飲み込んでいましたっけ。苦笑
こんな風に育ったので、味音痴と言われれば、そうなのかなあと納得してしまいます。
最近、近くのトラットリアで一人ご飯をいただきました。
そこはこじんまりしたお店で、かれこれ20年以上、オーナーシェフさんと、接客の女性一人で経営しているお店です。20年以上やっているお店なら、それなりに顧客もついているってことで美味しいお店です。
一方、近所に、この界隈では有名なイタリアンレストランがあります。
こちらもいつも満席で、予約がなければ入れません。
評判もすこぶるよく、私の知り合いもみな美味しいと太鼓判を押していましたっけ。
私はどちらも美味しいと思うのですが、好みの味、雰囲気からあの庶民的なトラットリアの
ほうが好きなんです。
そこのサラダは大皿に盛られて、ドレッシングも酸味が適度にきいています。
いっぽうのレストランのサラダはホンの少し、おしゃれな中皿に入っていてドレッシングというよりソース状の滴りがポツンポツンとお皿周りにも飾られていたりします。
そして見た目は大変美しいのです。
う~ん、料理は視覚も大切ですものね、それはよくわかります。
どちらもとっても美味しいお店でいいじゃないかと結論。
自分にとって美味しいものが美味しいのだから、比較はいらないってことですね。
まだ一本の歯も欠けないでいられるなら、多少の味覚の変化(加齢による)も甘んじて受けとめましょうと納得しました。
そういえば、息子が中学生のころ、彼のお弁当を見た友達に「○○!お前の弁当、茶色ばっかりだなぁ!」って言われたと帰宅して言っていました。ああ、そうだったかもしれない。
彩りを考えずに、ただただ彼の好きなものばかりを手早く詰め込んでいた私は、時に彼よりも早く家を出て仕事に向っていたんでしたっけ。
「このままでいいよ。」と彼はいってくれました。
まあ、茶色の食べ物は基本おいしいのです。そう思って、免罪符を自分に与えました。笑