世界は少しずつ変化しているようです。Mee tooがでたように・・・さて、日本では? | 最後の呟き壺

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あと何年生きるかわからないけれど、今を楽しんで生きるつもりです。その時々の思いを忘れないように記録しています。

これは老女の備忘録として書いています。

連日、元ジャニーズの芸能人とフジテレビのニュースで溢れています。
テレビ局って、仲間内のニュースはいろいろ含むところがあるんでしょうか?
社長の会見以降ですよね、その他のTV局がやっと動き出したのは。
その前は、こんな騒動になるなんて思ってもいなかったのでしょうか?
加害、被害者双方で弁護士を入れて示談交渉がまとまったということで、早期に収束するとたかを括っていたのかも。
または、自分のところだけ突出して損をしないように静観していたのでしょうかねぇ。
結局、雪崩のような具合でスポンサー離れが始まってから、自分のところもこうなっては大変とばかりに、あたふたとニュースで流し始めましたね。
以前にも、言っていた通り、日本のジャーナリズムはお粗末の一言です。
こんな余命いくばくもない婆さんですら見透かすことができるほど、だらしのない報道機関ばかりです。
そのうえ、日本は特に男の下半身の事件に責任を持たない国です。


それにつけても、NHKの大河ドラマ、見ていて、本当に違和感あるんですけれど・・
私だけと思っていたら、やっぱりネットでも同じような感覚をもつ意見がのっていましたね。
一応、吉原と言う場所が幕府の公認売春地帯という前提をもたせています。
そして、主人公に弱い女郎たちの悲惨な状態に同情と共感を持たせているものの、
結局、そこで生を受け、そこをなりわいの基盤とする主人公が、当時としては先駆的な情報発信で文化的側面から貢献したということをテーマにしています。


でも、NHKさん、なんかおかしい。
大河ドラマは前回の「光る君へ」でも、今までになかったような官能的なシーンも頻繁に出したりして、果敢に攻めているなぁ、というのが私の見方でした。
でも、一般に家族が見る時間帯に、まさか吉原が舞台となるドラマが登場するとは・・
世の中が変わったのか、世代間の認識のずれか?
私には、見るのが苦しくなる場面もあるのですよね。
例えば、何気に格子窓の内側でキセルを燻らせながら媚態を見せる女郎衆の姿は、なんともいえない気持ちになります。これを子供達もみているとしたら、どう説明できますか。
結局、そこは男が女を金で買うところです。そこは性の搾取が公然の取り決めのもと、
合法的に行われているのです。公然の取り決めはその時代の為政者側(男性側)の一存でおこなわれました。結局それが、為政者側に利益をもたらす業態だからです。
吉原を背景にしたドラマをいくら娯楽仕立てにしたとしても、私にとっては受け止めるのに結構きびしいものがあります。
たとえば、女郎の裸の死体に、主人公が持っている着物でそれを覆い隠す場面をつくって主人公の女郎に対する同情を表現したとしても、なぜか、共感できないのです。
根本的な不条理の中で抹殺されていく者への同情が着物一枚では、その気持が素直に響いてこないのです。


ええ、人類の誕生以来、人は男が力をもって、女を従属させながら社会を形成させてきたのはまごう方無き事実ですが、やっと21世紀になって、そんなのはイヤだ!女にも性の当事者としての選択権、拒否権があるということを声に出していえる風潮ができてきたのです。(アメリカでも、やっとエンタメ界からMee Too が出ました)
でも、日本ではまだまだ、人権意識が低いんですねえ。


立場が上の者が、その地位や特権を利用して立場の低い、弱い者から性的搾取(性暴力)を行うことが横行しているんです。やっとここにきて、それじゃいけないんだ、世界はそれを許さないんだというのが、幾分わかってきたのですね。これに敏感に反応しているのがビジネス界です。だって、これを黙認していたら、世界から総スカンを食らいますよ。
自分たち自身の存亡にも関わってくることですから。スポンサーは脱兎のごとく逃げました。特にグローバル企業はね。


性とは、人間の生存の根本を司る部分です。
人は自分を見つめて、自分を知り、その上で他者との性的関係を作れるのが理想です。
身体と心、この両輪の調和で他者との共鳴を奏でるのが性の理想的な姿だと私は思うんですけれど。