透明な膜で覆われている感覚の日々 | 最後の呟き壺

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あと何年生きるかわからないけれど、今を楽しんで生きるつもりです。その時々の思いを忘れないように記録しています。

これは老女の備忘録として書いています。

先日、例の元ナースの友と、彼女一押しのヴェトナム料理屋さんへ行ってきました。
二人ですからそんなに食べられません。3品注文して、ビールを一杯ずつ飲みました。
青パパイヤのサラダが気にいりました。シャキシャキして、とっても美味しかったです。
揚げ春巻きも、昔、S夫人(ヴェトナムに住んでいた方)に作っていただいた通りのいいお味でしたが、このレストランではソースが甘酢っぱいもので、ニョクマムをつかっていません。当時、初めてニョクマムをいただいた衝撃を覚えている我が身としては、本来はこれが普通だとしても、S夫人のレシピで味わいたかったかなぁ、とおもいました。これがちょっと残念。
あと一品は焼きそば、ミーサイというそうです。これも大変美味しかったです。

元ナースは相変わらず、ゴーイングマイウェイを貫いています。
誰にもおもねず、へつらわず、好きなことに首を突っ込んで、飽きるとパッと方向転換して、後ろも振り返らず駆けていきます。
最近、そんな風な生き方もありね、って思います。
それは私自身が周りの人々とのやり取りに、何の軋轢も生じず、スルリと抜けていけるようになったせいかもしれません。
いつからかしら?どっちかといううと、「こうあらねば・・」と考えたこともあった私が
こういうのもありね、と考えられるようになりました。
それと同時に不思議な感覚も芽生えました。
それはあたかも、私が身の回りを透明な膜でおおわれているような非現実感が常にあるのです。
ここに至るということは、自分が老いたって自覚するようになったからかもしれません。

それにつけても、晩年の父の姿が思い浮かびます。
何事にも口を挟まず、皆をやさしく見つめるだけの父。
私が子供の頃は、言うより早く鉄拳制裁をみまわせた、元海軍軍人が、穏やかな好々爺になっていった姿です。
あれは、きっとこういうことだったのかもしれないと、なぜか実感、納得できる今日この頃です。

身近な人との関係も、なるべく間隔を取り、相手がどういうことを言ったとしても、そういうこともあるんだわ、と感情に響かせないように受け取るようになりました。

数人の友人とも、疎遠になりつつあるのは、今まで、私が無理していたんじゃないかと
自覚したからで、もう、我慢して付き合うこともないって思いました。
これが私の世界を狭めるということなら、それもありとしましょう。
ヤドカリが身の丈にあった巻貝を求めて彷徨うのが自然の摂理としたら、人間も自分の身に相応しい環境に整えていくのも道理かもしれません。
少なくとも、私はこういう風になることで、楽になりました。
私はこれでよかったです。