これは老女の備忘録として書いています。
日本人は人に物を贈るのが習慣となっています。
盆暮のお中元、お歳暮から始まって、引っ越しご挨拶、ほんの手土産などなど。
これをずっとやってきたので、感覚がマヒしてしまった部分もあるのでしょうが、
考えてみれば、贈り物って、その含む意味は深いんですよね。
私がここでいう贈り物とは、習慣となっている贈答品、とりあえず贈っておこうというような贈り物のことで、心から相手のことを想って贈る物、また贈られた物ではないのです。
誰かに物をもらって、嫌がる人はいないと考えるのは、物の少ない時代の考え方。
これだけ多種多様な物品が巷に溢れているのですもの、中には頂いても使い道がない、もしくは好みでない、味があわない等、受けとった方が困惑してしまう場合もあるでしょう。
私の極端な経験で言えば、母を火葬した際、田舎の叔母(母の妹)が自分の畑で採れた野菜を火葬場に持ってきたのにはさすがに困りました。
母は親族にいつでも会えるようにと、自分の郷里近くの施設に入っていたのですが、脳梗塞で、そこで亡くなりました。
それで、その地でお骨にして、私の運転で父と夫と一緒に連れ帰ったのです。
母が施設に入居していた時の荷物を積み込むと、GOLFのワゴン車には、もうどこにも荷物を入れる余地はないのです。
それは一目瞭然の事でしたが、有無を言わせない迫力で叔母はその山盛り野菜を持たせようとするのです。普通の場合なら私も素直にお礼を言ってうけとったでしょう。
でも、その時は、場所が場所だけに本当に困りました。
祭日を挟んで、焼き場が空いていなくて、3日間も地方の祭礼会館の宿舎で待機させられた父はグッタリしていました。そんな今にも倒れんばかりの父と泥酔状態の夫をやっとのことで車の後方席に座らせていると、その様を呆れたように見ていた葬儀社の社員の人が、父と夫の間にあったお骨をひったくるように取り上げて、助手席にシートベルトでしっかり固定してくれまし。4時間近い運転を、この状態で私がするということを気遣ってくれたのでしょう。
このドタバタの中では私も感謝というより、迷惑の気持ちが先に立ち、それが顔に出たかもしれません。その後、親戚一同に私の悪口を言っていたと聞きました。
あの叔母さんなら言うでしょう。
昔から、自分の都合しか考えない人だと母がよく言ってました。苦笑
これは極端な例ですが、つまり受け取る側の都合とか気持ちを全く考えない、いわば恩の押し売りのようなものです。
以前聞いた話ですが、故樹木希林さんは人から物をもらわない主義だったとか。
ここまで、無神経な贈答はめったにないと思いますが、往々にして。人に物を贈る場合は自己満足が心を支配します。
気遣いと思ってすることが、相手の負担となる場合もあるのだと考えて、もし何か贈る場合は前もって、いるかいらないかを尋ねてからします。
まあ、基本、贈らない、貰わないというふうにしています。
子供達にも、なにかやる場合は必ず尋ねることにしています。
でもね、子供達からもらった母の日の花束は、どんなものでも趣味に合わないとか言わずにありがたく頂いていますよ。
今年の母の日には、専門店でとてもゴージャスな花束をわざわざ作ってもらったようです。息子は「これは○○ちゃん(嫁の名)とお店のデザイナーさんが相談して作ってくれたんだよ」と自慢してました。
はい、はい、ありがとうね!・・・・
本当のところ、私は野に咲くような花が入った淡い色の小さなブーケが好みなんですが、金輪際そんなことは言えません。
深紅のバラが詰まった大きな花束は一緒に揃えてくれた大ぶりの濁りガラスの花瓶に収まってテーブルの上にドンと鎮座ましました。
淡いグリーンで統一された私の部屋の中、そこだけが切り取られたように目に刺さりました。
(気持ち確かに受け取りましたよ。母より)