生まれてきたことを深く感謝する。 | 最後の呟き壺

最後の呟き壺

あと何年生きるかわからないけれど、今を楽しんで生きるつもりです。その時々の思いを忘れないように記録しています。

これは老女の備忘録として書いています。


私は、ずっとひねくれていたというか、子供のころ軽い虐待を受けていて(昔ならあたりまえの育児ですが、現代では、こう言えるのかもしれません)他者が怖くて、なかなか心を開かない子供時代を過ごしました。
その後も、諸々あって、人生ってなんなんだ?生きるってなんなんだ?と生まれてきたことを軽く恨んだこともありました。
それが、終焉の足音が聞こえるようになると、なぜか生きていることの喜び、美しさが
ダイレクトに心に入ってくるのです。これは本当に幸せなことです。

今夜も、ユーチューブで様々な音楽家の演奏を聴いていると、心が柔らかく、解き放たれたような自由を感じるのです。
今夜、特に、感銘を受けたのは、「コルトナの朝」という曲。
あの辻井さんがイタリアの田舎の村コルトナを訪問した時の印象を作曲した作品です。
これを聴いているうちに、あ~生きていることとは、ひょとしてこのような美しいものに出会える幸福なんだ、と気づかされました。
自然の美しさ、風や波、雲や霧、雪、雨そして雷の閃光も、すべての変化する事象と動きが、まさに奇跡のあり様です。そういうことを表現できる芸術や命と命の関わりの中でうまれる感動や感情の動き、それらを感知できる幸福が生きる中にあるのです。

辻井さんは生まれつきの全盲のピアニストです。
見たこともない色彩や自然の動きが、彼にはしっかり感知でき、健常者ですら気づけない細やかな美しいものの存在を鋭い感受性でその身に取り込むことができます。
さらに受け取ったものの印象をピアノで表現してくれます。
それは、この世の中で、これ以上ない尊く美しい表現です。

私は、最近思うのです。私自身、この世の中の素晴らしく美しいものといずれ、そう遠くない将来お別れしなければならないのだなぁ・・・と。
もう、見ることも、感じることもできないところに行ってしまうのでしょう。
それでも、こうやって、生きる素晴らしさを、遅ればせながら知ったことは本当に良かった!生きとし生けるものがみな、この世界の美しい面をしっかり享受して、
命の限り生きて欲しいと思うのです。