これは老女の備忘録として書いています。
ささやかな、老女の毎日が続いています。
どなたのブログ読ませていただいても、たいがい似たような感じです。
年代にもよるのでしょうけれど、シニアは皆、日々の暮らし向き、たまの旅行、身近な人間関係で起きるさざ波のような感情の揺れの記述が主になっています。
本当に、人間業の目標は健気に生きていくということに尽きると思います。
先日、弟君と都内、某所のライブハウスで会ってきました。
弟君の話を聞くと、やっとこの人もリタイアの時期を迎えたということらしいです。
いつ辞めるのか、と思っていましたが、長かったですね。まあ、仕事が生きがいのような人だからここまで来たんでしょうけど、よく頑張りましたね。
不思議だったのは、リタイア後の生活にすごく不安を感じているという点でした。
それまでの習慣が、ほぼなくなり、毎日が日曜日という生活にどう馴染んでいったらよいのかと打ち明けてくれました。
どうもこうも、そうなればそうなったように、体が馴染んでくるものよ、と言っておきましたけど、朝起きて会社に行かなくてもいいのです。時間は余るほどあります。
それで、退屈してしまうことを恐れているんでしょうね。
彼は家庭ではそれなりに居場所はあるんですが、夫婦関係は良好ではないのです。
ずいぶん昔に、妻から愛想をつかされているとのこと。原因はわかりません、どっちもどっちでしょう。
ただ、広義でいえば、私のような異性との関りを維持するというのは、婚姻関係ではルール違反かもしれません。
たとえ、肉体関係を持たなくても、精神的に依存する関係を持った場合は、これも不倫と目されるのかもしれません。
昔見た映画「恋に落ちて」というのがありました。
通勤電車の中で出会った既婚者男女が強く惹かれあっても、最後の一線を越えず、それぞれの生活に戻っていくというストーリーですが、そこで、強烈に印象に残ったあるシーンとセリフがあります。
ロバート・デ・ニーロが妻にその恋を告白、懺悔する場面で、恋愛はしたが、肉体関係は結ばなかったと告げると、それの方がもっとタチが悪いと妻が身もだえして怒るのです。
当初、わかりませんでしたが、今になると分かります。身体だけの関係は、本当のところ跡を残さないものです。つまり、記憶がぼやけてしまうほど意味が浅いのです。
ところが、恋愛での心の執着は記憶に組み入れられて、どんな変貌を遂げようと強烈に
爪痕を残します。まして、身体の関係を持たなかった場合は、相手を知りえなかった故に更なる幻想というか、理想に昇華させてしまうのです。これは厄介な記憶です。
妻が怒ったのも、むべなるかなです。
私と弟君に関しては、出会いが出会いだけに、恋愛ではなかったのですが、確かに
居心地がよかったのでしょうね。そして相互が安全パイだったのでしょう。
ここ数年、半年に一度ぐらい音楽を聴いて、食事をするということが続いていました。
こんなことを、それぞれの伴侶が知ったら不愉快なことですよね。
何しろ、学生時代の名残を引きずっている上下関係ですからね。
まあ、今後は微妙に変化していくかもしれません。
私からのアドヴァイスとして、楽器演奏に打ち込むことを提案しておきました。
弟君は、その昔ベース奏者でしたし、ピアノも達者な人です。
そこに戻って、昔の仲間と活動したらいいんじゃない、と。
「姉さんも、やらない?」とのお誘いを受けましたが、無理、無理!!
私のレベルでは、今では、とてもそこに加われません。
これから、どんな生活が始まるのかは分かりませんが、たまに会って音楽を聴いて
話すというぐらい、いいじゃないですか?
いけませんかねえ?
やっぱり、一夫一婦制は人間をかなり撓めることで、成り立つ制度だと思いますよ。
そして、人間は一筋縄ではいかない、厄介な感情の動物なんですね。