食物 | 最後の呟き壺

最後の呟き壺

あと何年生きるかわからないけれど、今を楽しんで生きるつもりです。その時々の思いを忘れないように記録しています。

これは老女の備忘録として書いています。


ちょっと前に、北陸に行ってきました。
駅のポスターに引き寄せられて?
カニ食べに・・パフィの歌じゃないけれど、これで2年連続で行きました。
その結果?うん、去年は完全に騙されました(有名料理屋でしたが、量といい味といい、冷凍使っているよね?という感じ)
今年は、(評判の居酒屋さんで)それなりに美味しかったけれど
本当に美味しいのかどうか?わかりません。子供の時の記憶の、あの味とは微妙に違うんですね。そりゃそうかも。本当に新鮮で、身の詰まった、カニは。今やタグ付きで、超高級品です。一ぱい ン万円もするらしいですね。そんな高価な蟹、食べられません。せいぜいあの程度です。


帰宅して、近所のスーパーで、解凍カニ買ってきて、ほぐしてカニグラタン
作って食べました。OK!!これで十分です。そのうえ、「ほぼカニ」という、とんでもなく完成度の高い人口物を買って、添えてあったカニ酢につけて食べたら、なんと、北陸で出されたものと、たいして違わない風味でした。美味しいですよ、ほぼかに。
格付け番組に出たら、真っ先に三流になって、それから消される運命の芸能人と同じです。ハイ、私の舌なんて、この程度のものです。
でもね、何でも美味しく食べられるなら、いいんです。この舌で。


世界で戦争が起こったり、気候変動なんかで世界規模の飢饉が起こったりすれば、
あらかたの食料を輸入に頼っているこの国は、いったいどうなちゃうんでしょうね。
サンマ、ウニの不漁なんてのも、近年いわれていますが、今年は痩せたサンマを一尾食べただけです。ウニは、お寿司さんでは頼みません。


昔食べた普通の食物が、普通に手に入らなくなってしまうことがあります。
その逆に、一時途絶えていたものが手に入りやすくなってきたこともあります。
たとえば、ニシンなんて、北海道でずっと不漁続きだったけれど、近年戻ってきたとか。うれしいじゃありませんか。お正月のニシンの昆布巻き、いいのが作れます。
一つン万円のフルーツとか、とんでもない値段のマグロ とか、etc。
そういう話を聞くたびに、物の価値は求める側の切望度合いによって決まるんだなあって、つくづく思います。
もし、私にお金がふんだんにあって、何でも手に入るとしたら、それ程の食べ物を
切望するでしょうかねぇ?感覚が麻痺してしまったら、そうなるかもしれませんが、
贅沢をしない家庭で育ちましたので、高額の食物をいただくとしたら何らかの罪悪感からのがれられないかもしれません。
とはいえ、カニ食べに行くこと自体が、贅沢だと言われたら、そりゃ、そうですね。
まったく、反論できません。(ただ、持ち時間少なくなっている老女の最後の贅沢として、許してもらうしかありません)


それにつけても、ここにきて、やっと政府が食料自給率を高めようという目標を、はっきり打ち出してくれました。よかったです。本当によかったです。ちと、遅すぎるきらいがありますが、それでも、国内の生産者さんを保護して、自国で食物を賄えるように努力するのは国家としての基本でしょう。

最近まで、私は地方に畑を作って、ジャガイモを栽培しようと本気で考えていました。
(6年前の手術後、体力がなくなり、現実に不可能となりました)
その昔、大飢饉のなか、アイルランドの民を救ったというジャガイモを個人でも作らねばならなくなる時代が、まじかに来るんじゃないかと危惧しています。


昆虫食は未経験ですが、何でもいただけることは、ありがたいと思います。