




高校時代のクラスメイトでI君と言う楽しい男がいた。彼は進学校では珍しいアイパーと言う髪型で応援指導部と言うちょっと風変わりな部活を楽しんでいた。一見、蛮カラ風であるが実態は自慢である枢軸軍の名物MP40シュマイザーを自室内で乱射し、空薬莢をその辺にばら撒く事に喜びを感じていた。性格自体は全くの田舎のいいアンちゃんである。彼は登校に山の中からJRで二時間もかけて出てくる猛者でもあった。あるときに鹿肉の事が話題となった。彼の住む山里では狩猟が解禁されると若い衆が鹿狩りをして集落の各家庭に人数分の鹿肉を分配して行くと言う慣わしがあった。彼の話ではその獲れたて鹿肉で作る鹿鍋が絶品であると言う事であったが、鹿と言えば奈良の大仏の前庭で糞を撒き散らし、鹿煎餅をねだる為にお辞儀を覚えた例の生き物程度の認識しかない私はグリーンピースやシーシェパードかと言わんばかりの超傲慢な態度で”鹿を食うなどと何と野蛮な!”と言ってみたものの彼の”鹿鍋の美味さを知らんお前は不幸だ!”との切り返しに返す言葉が無かった。
鹿肉を前にI君の事を思いだざるを得ない。彼の言った私の身の不幸の一つを今解決出来るのである。生憎鍋料理が出来るほどの肉の量でもないが、一瞬で胃に収めるのと言うのも味気ない。色々調理法を調べると鹿肉の炊き込みご飯が量的にも調理法的にも適しているようだった。先ず肉を解凍してみる。変な臭いはしない。殺した直後の血抜きの処理が良いのか元々あまり臭う肉でないのかはわからない。レシピ通り小さなサイコロ状にカットする。血の色がリアルである。思いの外脂身がない。やはりササミだからだろうか。この後軽く湯通しをしておく。あとはお決まりの牛蒡と人参、醤油、酒、みりんである。せっかくの鹿肉である。炊飯器などと言う味気のないマシンに調理させるのもいささか風情がない。ここは野趣の風情を大事にあえて飯盒で炊き込む事としよう。具材を混ぜる以外は普通の飯盒炊爨である。醤油とみりんが加わる分いつもより焦げ付きやすくなるのでここだけが要注意である。準備開始からほぼ一時間ほどで鹿飯が炊きあがった。
鹿飯を一口ほお張ってみてなんだ何も変わらない普通の炊き込みご飯ではないかと思ったが鹿肉を食べてみてなるほどと思った。野生動物を連想させる筋肉の張りがある。味自体は淡白でクセや臭いは皆無である。非常に優しい上品な代物であったが如何にも生命をいただいていると言った実感がある。その上、山里の昔からある郷土料理といった趣である。自分で作ったから言うわけではないが美味い。結局私一人で二合全部食べてしまった。なるほどI君が自慢するわけである。山の幸で腹を一杯に満たして久しぶりに昼寝までしてしまった。自然の恩恵を受けるとはこういう事を言うのである。