今日は阪神淡路大震災があった日から31年目に当たります。
改めて、震災で亡くられた方のご冥福をお祈りいたします。
あれから長い月日が経ち、私の記憶もかなりあいまいになってきました。
震災の当時は私は八王子に住んでいたので、自分は被害には会いませんでした。
しかし、学生時代に神戸の深江に下宿していたこともあり、震災のあった週の週末に、友人と大阪で待ち合わせをして、少しばかりの救援物資をもって、神戸商船大学(現:神戸大学深江キャンパス)を尋ねました。
その時の思い出を東日本大震災の直後の2011年3月14日のブログに掲載しています。
興味のある方は読み直してみてください。
神戸市からスパコンお披露目会のお招きを受けて、私が阪神淡路大震災から16年ぶりに神戸を訪れたのが3月7日。
その4日後に東日本大震災が発生しました。
日本に暮らしている限り、大きな地震はどこにいても起こりうることです。
それを心に刻みつつも、何度ダメージを受けても何度でも立ち直ってくることが大切だし、それが日本の真の強さだと思います。
阪神淡路大震災の直後は、続けてもう一度、神戸を訪れました。
2回目は仕事のためで、訪問先は伊丹市の三菱電機北伊丹事業所でした。
当時の私はHOYAの八王子工場の品質保証係長の職にあり、三菱電機はとても大切なお客様でした。
当時の北伊丹事業所は三菱電機の半導体製造の拠点であり、HOYAは半導体の原板になるフォトマスクやその基板となるフォトマスク・ブランクスを納品していました。
震災直後からHOYAでは破損したり、汚れたフォトマスクの作り直しや再洗浄という形で工場の早期の再稼働のお手伝いをしていました。
その仕事の一環として、お客様から来て欲しいと言われて大阪に向かったのですが、そのとき阪神地区には復旧工事のために大勢の人が集まっていて、事業所の近くの宿泊施設がなかなか見つかりませんでした。
そして、私に代わって関西営業所が見つけて予約してくれたのが神戸・三ノ宮駅のすぐ近くのホテルでした。
( ひょとすると営業の誰かが、神戸の街を気にしている私を気遣って予約してくれたのかも知れません。)
まさかこの時期に神戸の中心で営業しているホテルがあるとは思いませんでした。
夜遅くに三ノ宮駅にたどり着くと、人影も少なく周囲には横倒しになったビルがいくつかあって、それぞれ工事用のライトに照らされて解体作業が続けられていました。
ホテルの部屋では、ビルを解体する重機の音が夜通し響いていたのを覚えています。
翌日、北伊丹事業所を訪ねて、再作成が急がれる重要なフォトマスクとそれに関するデータを手渡しで受け取り、大切に抱えながら新幹線で東京に帰った記憶があります。
半導体というと、いつも最先端の半導体に注目が集まります。
しかし、その一方で日本の産業やインフラ、機械、そして防衛装備などを動かし続けるためには、何十年も前の古い半導体も、必要がある限り、供給できる体制を維持し続けなければいけない、それを思い起こさせてくれた体験でした。

