2024年も早くも2月の半ばになりました。
関西に帰ってきて1年と半年。
河津桜と下田バーガーが恋しい今日この頃です。
世の中が三連休の初日の2月10日。
バイトの休みを利用して愛車・ルーミーを走らせて明石の海岸にやって来ました。
目的地は明石市の松江海岸です。
自宅の枚方市から一般道を使って行きました。
電車で移動しいた学生時代は、神戸方面に行くには大阪(梅田)に出て、阪神電車かJRか阪急で移動でしたが、クルマで下道を行く際には、高槻、茨城、吹田、豊中、伊丹と大阪の北部を通過してゆくのが近道のようです。
西宮からは国道43号線という、広くて大きな制限時速40キロという懐かしい道路を西に向かってゆきました。
11時30分過ぎ、松江海岸の駐車場に到着しました。
目の前に海が広がる、公衆トイレもある綺麗な駐車場です。
軽自動車専用の区画もありますが、普通車の駐車場はゆったりしていて、小柄な愛車には十分なスペースです。
目の前には、穏やかな瀬戸内海が広がります。
この位置とこの角度だと正面の四国は水平線の向こうですね。
空気が澄んでいると四国の山は見えるのでしょうか?
駐車場の西側にはオシャレなハンバーガーレストランが在ります。
反対の東側にもオシャレなカフェレストランがあります。
そろそろランチタイムですね。
お腹が空いてきました。
で、私がランチに選んだレストランがこちら。
なーんや、クルマのなかやんけ。
なんて、自分で言っていますが、いい歳したおっさんが一人でオシャレなレストランなんて似合いません。
それに、サーフィン発電を世に出すまでは、節約節約です。
ビンボーで、世界一大きな夢の実現までは、我慢も大切です。
眼の前の海を眺めながらルーミーのテーブルで食べるランチはひときわ美味です。
食事の後は、波を観察するために海岸に降りてきました。
海は澄んでいてゴミもなく、とても綺麗です。
短い周期で繰り返すさざ波は、逗子の海岸を思い出しますが、押してくる力はこちらの方が少し弱いようです。
サーフィン発電の初期の実験を進めるには、これくらいの小さな波がいいんです。
一生懸命ささやかな実験装置を作って、それを一つめの波にさらわれたのでは、泣くに泣けませんから。
西側には綺麗な砂浜が続いています。
東側には、淡路島、そして明石海峡大橋がかすんで見えます。
12年前、会社の立て直しのためにサーフィン発電を実現しようと方々に話をして回りました。
その時に話をした、全国紙の主幹の言葉を思い出します。
「この話は、動き出せばだれもがやりたがる素晴らしいアイデアだと思います。しかし、今の日本の社会では、動き出すまでに少なくとも10年はかかるでしょう。」
その言葉の通り、12年が経過しました。
タラレバ話ならば、1,000はオーバーとしても、100タラレバは軽く超えるくらい聞いてきました。
ニッポン人なら様子見だろうとアドバイスしてくれた友人もいました。
3回の急性心筋梗塞の手術を乗り越えてきた、名医からのお墨付きをもらった奇跡の心臓もそろろそくたびれてきました。
今、生活の苦しさや、政治の腐敗の問題もあって、多くの日本人が、様子見ばかりしていては何も事態は好転しないと気が付き始めています。
あと2、3年がサーフィン発電を世に出す最後のチャンスだと感じています。
帰り道は高速道路を使って帰りました。
玉津ICから第二神明に乗り、阪神高速3号神戸線で神戸を抜けて大阪に入り、大阪市の北部を通り抜けて、守口市から国道1号線に入り、枚方市まで帰って来ました。
阪神高速の走行はひやひやでした。
3号神戸線から大阪市に入ってからが、緊張の連続でした。
走る前はナメていました。
関西に帰って来る前の35年間は首都圏暮らし。
横浜に27年間住んでいた時は、首都高を通り抜けて埼玉のお客様のところに頻繁に出かけたり、レンタカーや配送の仕事をしていたころは目黒や渋谷を中心に夜に昼に都心を走り廻っていました。
だから、初めて阪神高速を自分の運転で走るのも、あまり気にかけていませんでした。
しかし、大阪に入ってからのナビの指示は、右から合流してすぐに斜め左、左から合流してすぐに斜め右と、車線の変更の指示の連続です。
しかも、合流先の車線は4車線もあって、ナビ画面上のイメージ図は4車線を一気に斜め横断。
走って来るクルマの速度も速くて、ハンドルを握る手に汗をかきそうなくらい緊張しました。
家に帰ってから思ったのですが、首都高の都心部は道路が狭くて車線も2車線で、カーブの半径が小さくて、クルマの量が多くて、土曜日の午後は概ねゆっくり流れているか、渋滞していました。
阪神高速、初見には厳しい道路でした。