フルメタルジャケット 海とサーファーが教えてくれた その6 | フルメタルジャケット

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こんな時代だけれど、日本のモノづくりを再起動したい。

[6].2回目の急性心筋梗塞
 2006年8月からは地元の神奈川で新しい仕事が始まりました。大手電機メーカT社の子会社で、半導体用フォトマスク検査装置の製品化のお手伝いをすることになりました。本来の技術コンサルタントとしての仕事への復帰です。
 しかも、この装置の基本開発を行ったのは、このT社と、かつて私がお世話になっていたN社が合弁で設立した、装置開発が目的の時限会社A社です。T社の川崎の事業所内で懐かしい連中との再開を果たし、これからの仕事に意欲を燃やしていました。
 そんな矢先の、2006年9月2日の土曜日、2回目の急性心筋梗塞を発症してしまいました。前日の夜、横浜スカイビルのレストランで遅くまで仕事関係の人達とお酒を飲みながら、今後の進め方について話し合っていました。翌日の土曜日は、目覚めてから何となく胸の周りが気持ち悪くなってきました。最初は二日酔いのせいだろうと水を飲んでじっとしていました。しかし、ますます気分が悪くなってきたので、病院から貰っていたニトログリセリン錠を続けて2錠なめました。ニトロは血管を広げる働きがあるので、狭心症にはかなり効果がある薬です。しかし、血管が完全に詰まってしまう心筋梗塞の場合にはニトロでは効果がない場合が多いとも聴いていました。
 
 その後、10分くらいじっとしていましたが、ニトロ錠でも症状の改善が現れないことがはっきりしてきました。やがて冷や汗が出るようになり、1年前の心筋梗塞の発症時と全く同じような症状を感じるように成りました。こうなると病院に行くしかないと決意し、診察券と財布を持って自宅の前の道路でタクシーに乗りました。
 タクシーで向かった先は、1回目の手術を受けたみなと赤十字病院でした。その時はすでにみなと赤十字病院での通院治療は終わり、かかりつけの医院に毎月通いながら2ヶ月に1度、循環器呼吸器病センターに通う治療体系になっていました。だから、循環器呼吸器病センターに向かおうかとも思いましたが、前回手術をして心臓の冠状動脈に挿入したステントが詰まっているものと思い込んでいたのと、自宅からタクシーで向かう際の時間の短さから、みなと赤十字病院へと向かいました。
 20分ほどで病院に到着した私は、正面横の急患用の受付窓口で診察券を提示して、症状を話し、処置室のベッドに横になっていました。程なく救急処置室へと移され、前回と同じように心電図のモニターや血圧計などが装着されて行きました。
 そんな中でも私は心筋梗塞になるのが2回目なので比較的に落ち着いていて、先生を相手に、前回と全く似た様な症状が出たので、ステントのところが詰まったのでしょうと話しをしていました。
 しかし、そんな余裕も、直ぐになくなりました。心電図を見ていた先生曰く
「残念ですけれど、今度は左側の環状動脈が詰まっています。」
その後は前回と同じく、緊急のカテーテル手術を受けることになりました。この時は、左側の冠状動脈のかなり根元の方で血栓ができていたそうです。はっきり重症だと言われました。
 幸い、処置が早かったので命をとりとめることができましたが、自宅で直ぐに救急車を呼ばずにタクシーを使ってやって来て、しかも病院の敷地内も歩いて来たことは、後で叱られました。なにしろ、救急処置室のベットに横たわってからは起き上がれないくらいの状態になりましたので、正に紙一重だったようです。
 手術は途中で典型的な心不全の症状になりました。心臓のポンプとしての機能が弱まり、肺に溜まった水が抜けずに、咳き込みました。それでも無事に終了してICUへと移されました。前回の手術から1年と4ヶ月しか経っていなかったこともあり、ICUには見覚えのある看護師の方も何人かいて、驚いた顔と共に、
「お帰りなさい。」
と言って迎えていただきました。
 それにしても、この時期での2回目の発祥はショックでした。1回目の手術の2週間後、その半年後と1年後の合計3回、カテーテル検査を受けて心臓の状態を確認してきていたし、薬を正しく飲み、体重を始め健康状態のコントロールに人一倍気を遣ってきたのに、こんなに短期間で2回も心筋梗塞になるなんて、自分はもちろん、先生方も驚いていました。
 2回目の緊急入院も、前回と同じく2週間で退院を迎えることになりました。ただ、前回は右側、そしてこの時は左側の心臓にダメージを受けてしまったので、退院前日になっても心臓の機能が前回以上に低下しているのが判りました。
 大きな建物の、みなと赤十字病院は上層部の入院患者がいる階は、文字の”H”のような形になっています。その7階の西側が循環器病患者の部屋になっています。その循環器科の一部を歩くのもやっとの状況でした。H型の形で言うならば、左側の縦棒の、下半分を1往復するだけでも息が絶え絶えという状態でした。
 退院を翌日に控えた9月14日、先生との話の中で聴いたのは、そのときの状態は身体障害者の2級相当であり、自分でカッターシャツを着るなどの軽微な動きには支障が無いが、それ以上の動きでは支障が出て来るというものでした。もちろん、それから徐々に良くなって、体力も回復してくるだろうとも言われましたが、不安が一杯だったのを覚えています。
 先生とのカンファレンスを終え、7階に戻り、携帯電話を使っても良い場所に指定されていた渡り廊下から撮影したのが、ブログの最初に掲載したランドマークタワーの写真です。そのとき、頭の中は不安で一杯でしたが、
”もし元気になった、とにかく社会復帰をしよう。社会復帰したならば、いずれ会社を作ろう。その会社が上手く成長したならば本社をあのランドマークタワーに構えよう。”
そう前向きに、前向きに物事を考えるようにしながら、ランドマークタワーを見ていました。その時の思いは現在も続いています。
 退院の際、ICUに挨拶に行ったら当直の看護士の方から、
「もう、二度とここに戻って来たらダメですよ。」
と、声をかけてもらい、見送っていただいたのを今でも覚えています。



$フルメタルジャケット-その6

入院生活とある日の朝食と昼食。
カロリーも水分も制限されていて、全然足りません。


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