嘘をつく人① | 毒を持つ人

参考書籍

「平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学」
M.スコット ペック (著)

森 英明 (翻訳)



交流をきった後、モラさんは、わたしのことを

「水を吐くように嘘をつく」

「天才でもない限り、嘘をつく人間は、必ず滅びる」

と言っていました。

しつこくしつこく、毎度のように、そこら中に言い触らしていました。

わたしが知り合う人のところには、押し掛けて、必ずこの印象を

刷り込んでいました。


厳密に嘘をつかない人間なんかいないと思うし、嘘をつく能力(?)というか、

お世辞にせよ、励ましにせよ、その場に応じて適当なことを言うスキルは

人間の知恵であったり、社会性の一部だと思うのですが、とにかくしつこかった。


”コトンさんは嘘をつく”


鬼の首でもとったかのように、繰り返すのです。

そんなに嘘をつく人が嫌いなら、離れたら?

と思うのですが、コトンは嘘をつく、嘘をつく、言いふらしながら、

救済者の仮面をかぶって、ずーっとわたしの後ろをつきまとっていました。

正直そんな中傷をばら撒きながら、友情の復活を望むなんてどうかしてると

心底不気味に思うのですが、

そのあたり、モラさんに矛盾はないようなのが、また不気味でした。



疑問は三つです。


 ・嘘をつく人間がそんなにダメなら、こちらは交流をお断りしているのだし、

 嘘をつかない人と付き合えばいい。何故そうしないのか。


 ・通行人にもひとしい無関係な人たちにも言いふらすのは何故なのか。


 ・嘘の具体的な内容と、それにより、どんな不利益を被ったというのか。

   実害があったのなら、何故、わたしに直接抗議しないのか。


公にするのは何故なのか。

倫理観として、嘘はゆるせないので、神のごとくに見逃すわけには

いかないということなのでしょうか。


暴力と同じで、嘘は、「悪いこと」とされています。

モラさんに洗脳された人々は、モラさんに煽られるたびに、

「嘘をつくな! 嘘をつくな!」

わたしを批難していましたが、それも「嘘つき=悪」という概念があるからです。



嘘をつかないにこしたことはありませんが、社会生活を

送っていれば、必要にせまられる局面は多々あります。

厳格な聖職者でもない限り、

嘘をつかない人間などこの世にいないと思っています。

1ミリたりとも嘘をつかない人がいたら、すみません。



嘘をつく時、ひとは、「いま嘘をついているな」

と意識しながら、嘘をつきます。

不治の病人に対して、「すぐによくなるって」と笑顔をみせる、

そういった嘘も、発言者本人が「嘘」であると、分かっています。


境界例のつく嘘は、

「嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれるよ」

説教される類の、あの悪さの嘘とも、ミスを言い訳する時の嘘とも、

社交辞令の嘘とも、言い逃れの嘘とも、性質が違います。



「平気でうそをつく人たち」

この著書で扱われている「嘘」とは、作為なのに無意識である、そんな嘘のことです。

嘘と知りながら水を吐くように平気でうそをつくのではありません。

彼らの嘘は、彼らにとっての、真実です。

嘘をつかないので、嘘をつく人に対して、あれほど

厳しくあたることが可能なのだともいえます。



平気でうそをつく人たちは、「正直者で善良で無実」の仮面をつけています。

嘘だと意識して、嘘をつくのではありません。


作為的な嘘なのに無意識の嘘。つまり、
嘘をつきながら、彼らは嘘をつかないのです。



自分は正直者で、絶対に嘘をつかないのです。

でも嘘をついているのです。

生きている限り、嘘をつかないと、正直で善良な仮面はまもれないのです。

「嘘をつく人間はいつか必ず痛い目にあうよ。滅びるよ」

人に向かって言うそれは、善良で正直な自分には、絶対に

存在しないはずの悪です。

嘘は悪なのです。

悪は自分ではありません。


では、代わって嘘をつくのは誰?