とりつく② | 毒を持つ人

わたしがモラさんと交流のあったのは約3年。

交流をお断りした後、モラさんがストーカー化。

付きまとわれている期間が、現時点で約6年です。

トータルで、だいたい10年です。


つきあいがあった頃の、倍の年月、相手は逃げたわたしに

執着していることになります。

すごいです。


わたしへの攻撃は、いつも、メッセンジャーのように人を介して行われました。

「ひとの好意を無にする人だ」

「人の助言に耳をかたむけない」

嫌がらせ抜きでゆるいところなら、こんな感じです。

モラさんは第三者を洗脳し、悪印象を刷り込み、ターゲットを庇うふりをします。

庇うふりをしながら、悪印象をさらに塗り込みます。

悪いところには自分の姿を投影しているのですが、第三者には分かりません。


つきまとい方は、まさにストーカーというものでした。

はっきり姿は見せずに、人の後ろから、じっとついてくる。

見えるか見えないかのぎりぎりの距離。

自分の存在を誇示し、その念を影絵のようにわたしに送っていました。


付き合いがあった頃のモラさんの言動を、第三者からのメッセージと

重ね合わせると、モラさんがどんな口調で印象操作・対人操作を

行っているかを推測できます。

吐きそうになりました。


加害者は、直接手を下すことはありません。

間にひとを介在させるのは、まずいことが起きた時に

「あの人が勝手に暴走してやったこと。わたしは何もしてない」

言い抜けできるからです。

自分に害がかかりそうなアクションを被害者に対して起こした人には、

「あなたの言い方が悪かったからだ」

と人のせい。


加害者自身は、傷つくこともなく、リスクも負わないのですから、余裕をもって

加害行為を半永久的に続けることができます。


モラさんとの付き合いを断り、別のAグループに移ったわたしの後を、

モラさんは追いかけてきました。

Aグループにもぐりこんだモラさんは、わたしの交友関係をチェック。

わたしが誰かと挨拶をすると、すぐに後からその人のところへ行き、

ボーダー特有の愛想のよさで、ターゲットより先にその人たちと親しくなります。

いやな感じですが、他人の行動を縛ることは出来ません。

事情を知らない人に、モラさんとのいきさつ話などすれば、こちらが

「人の悪口を言う危険人物」として、扱われてしまうでしょう。

モラハラの擬態である救済者の仮面は、モラハラの受け身側である

わたしにはかぶれません。


モラさん本人は、「コトンさんが怒っているから」と健気にうなだれて、決して

わたしと直接交渉をしようとはしませんでした。

印象操作の開始です。


「コトンさんが、怒って怒って口もきいてくれない」

 =コトンはひどい女であり、自分はか弱い被害者という、印象操作


「コトンさんは世間しらず。わたしだけが彼女の味方」

 =他の人と仲良くさせない操作と、心配しているという善人の仮面


「コトンさんを、何とかしてあげたい」

 =悪評と美談でつり、協力関係に持ち込む。仲間化。


ターゲットを確保しておくのに、まず、周囲の人間を取り込み洗脳。

大雑把には、この流れです。

ハッキリ言って、何がやりたいのか、分かりませんでした。

今も完全に分かっているとはいえません。

急激に人間関係が悪化していくので、手のこんだ復讐かと思っていました。



コトンさんとわたしは《友だち》だと、モラさんは言っていたそうです。

友情を口にしながら、不名誉な悪口をばらまく。

悪口をばらまきながら、親でも不可能なほどに心配してみせる。

他人の人生に口を出し、心配するふりをして脚をひっぱり、指示を出す。

気がつけば、

わたしと誰かとの間には、常に乗り込んできたモラさんが一枚かむという、

いびつで、不自然なことになっていました。


友情ってそんなものではないです。

裏で噂を流すとか、ありえないです。

「心配してあげている私を見て!」そんな劇でもありません。

ボダさんは、友情というものをしらないのでしょう。


他人をコントロールすることなど、不可能です。

不可能である限り、別人格が存在しているというだけで、他人を操ろうとする人は

ますますコントロールの度合いを強めることになります。

どうしてそこまでと思うほど、手がこみ、やっきになり、関わろうとしてきます。

境界例の見捨てられ不安感がなせる、しがみつき。支配と、コントロール。

でも、こちらには、目的が分かりません。


分からないながらに、これにひどく似ていると思いました。

 ●子どもの自立や成長、成功をたすけるふりをしながら、無意識に

  失敗する方へと誘導し、いつまでも必要とされようとする毒親。

  「うちの子が心配で」と嘆くことによって、「いいお母さんですね」「大変ですね」

  と称賛をわが身に集め、世間の目をカモフラージュ。

  世間の評価の投影により、本人は自分のことをいい母親だと信じて疑わない。

  無意識なので、母親に、罪の意識はない。


しがみつきは、詮索や、強烈な監視というかたちで、続けられました。

ほっとけば去るだろうと思っていました。

境界例というものを知らなかったからです。


モラさんは去りませんでした。


去らないどころか、年を追うごとに取り巻きを増やし、攻撃を強化していきました。