前回、「我から場へ」の投稿をしました。



今日は、前回の内容を

もう少し丁寧に辿ってみますね。




日頃は、自分から外の世界を見ています。


この視点のみだと我に入りやすい。



わがままを言ったり、

自分が得するように仕向けたり。



幼少期の子どものようで、

未熟者扱いされやすい。



身勝手な振る舞いをすると、

このようにたしなめられます。



相手の立場になって考えなさい!と。




言われたように、

相手の立場になってみます。



身勝手な振る舞いは、

される側に立つと嫌な思いをする。


そう理解します。



ここまでが、

相手の立場になってみるの立ち位置です。




では、場に意識を置くとは

どういうものか?





職場、現場、家庭、サークル、

茶飲み友だち、など、


そういう場が至る所にありますよね。



そのような場を、

一度、擬人化してみてください。







そして、擬人化した場に、

自分の意識を重ねます。




場、そのものになって見ると、

澄んだ意識で全体を見られます。




今は、あの人を中心に場が回ってるな、とか。


おや、そちらの人はちょっと、

静かだな、など。



話しの流れていく方向を見たり、

熱量の高い、低いも感じるでしょう。



また、先程挙げたような、

身勝手な人がいるために、

周りが困っている様子も、

手に取るように見えてきます。



我の意識の中に留まれば、

「どちらに着けば優勢か?」

と、我の立場から考えるでしょう。


(今の政治や国際情勢のように)




場に意識を向ければ、

「この場はバランスを欠いているな」

と全体性から状況を伺うでしょう。




どちらがいい、わるいじゃなく、


視点の置き方によって、

見える世界って変わるんですよね。




それで、ですね、

このようなことが言えます。



視点の数は多いほど全体が見えてきます。



全体が見えると、

それまで見えなかった、

別の選択肢が在ると気づけます。



別の選択肢が在るということは、

可能性の広がりと同義語なんです。



目的地までのルートは一つだと思い込んでいたけど、他にもあるじゃん!



それに似た気づきです。



視点を、自分から相手へ。



また、


自分も、相手も、その他、多くの人々を含む、

全体性へ置いてみませんか?




自分=全体性(全体意識)






=======








世界の平和を祈ります。







「お客さまの視点に立ちましょう」

と、商売に関わった人なら聞く言葉。




売り手の視点のみで突っ走れば

買い手とズレが生じます。



ズレるとお客さんは離れます。



いつもの視点を移行すると、

見えなかったものが見えてくるわけです。



また、視点の移行は商売だけでなく、

生活おいても有効。




今回書く内容は、

視点が「自分」から出て、

「場面」に移すものです。





【我から場へ】


視点を「我」から、「場」へ移す。


視点を、自分→ お客さん

に移したように



自分→ 場に移します。



我から離れ、

場から見れば視野が広がります。


表層のつながりだけでなく、

心持ちなど深層の関係性まで見通せます。




場という視点から見れば、

可能性の広がりも見えてきます。




例えば、

弱者だと思っていた生活者は、

弱者でないことに気づきます。



大きなものや、

権力者に委ねなくても、

自らの手で掴めるとことが分かるんです。



見えてなかった可能性は、

場という視点からは見えるんです。



そうなると、

誰かにしてもらうことを待つことなく、

自分が起点となれます。



見え方が変われば、

立ち位置が変えられます。



立ち位置が変われば、役割も変わります。



「役割の再配置!」ってところです。




役割の再配置は、

それまでの流れを変えます。



このように、

我から場に視点を移せば、

「流れは自ら生み出せる」ことに気づけるんです。

風邪気味なので今日は早めに就寝します。



日頃、健康あることのありがたみ。



いつも、一緒に居てくれる自分を

労ってあげたいですね。