横浜に来ています。






着いたのはお昼。


横浜に来たからは、やはり中華街でしょう。




メインストリートは観光客向けが多いので、

あえて裏通り。




面白いものはたいてい裏側にあるんですよね。



通りも、人の人生も、

全てに言えること。





選んだのはこのお店。



入店してから気づいたけど、

こちら、ベイスターズの選手たちや芸能人もよく来るお店とのこと。



2階に上がる階段にサインがたくさんありました。



食事もお値打ちで美味しかったですよ。



食べ終わったあとお支払い。



使えるのは現金のみ。



ということは、

観光客狙いではないということ。



裏通りを歩くとこういうお店に出くわすのが面白い。





中華街をあとにして来たのは山下公園。





以前来たのは10年前か、

と思い出していると、



どこかの観光客が海を見ながら

「わぁ、何年ぶりだろう。」と言ってました。




同じような人が多いみたい。






海を眺めながらてくてく歩くと風情ある風景が目に止まりました。



海と、都市と、海外の文化が入り混じる街。




横浜の魅力が感じられます。





ちょうど桜も満開でした。





二枚上の写真の橋にこんなプレートが。



1907年と書かれています。



ということは、

世界恐慌より以前で、


沈没したタイタニック号よりもっと、

昔に建造されたということ。




歴史を感じずにはいられない。






みなとみらいは、ランドマークタワーとこちらの建物がアイコン的な役割を担ってます、

(個人的に思うこと)



角を丸くせずに長方形の方が合理的だけど、

あえてアールにしてるのかな。



多くの人がぼくみたいに、

印象的に覚える人がいるから。


本当のところは知らんけど。




さらに歩くと見覚えのあるビルが。






今、某テレビ局と共に話題を提供してくれる

あの自動車会社の本社。




みなとみらいを歩きながら思いました。


この企業に未来はあるだろうかと?





いいクルマを作って来ただけに、

ぜひ、復活してもらいたいものです。


やっちゃえるか?ニッサン。




他の資料館も行きたかったのに、

半日では時間が足りず。




横浜はたくさんの資料館が点在しています。


さすが歴史のある街。




また、次回の楽しみにとっておきます。






今回は久しぶりの遠出。



いろいろなものを見ながら、

ずっと、一人で会話したのです。



目に入る情景を見て、一人実況してました(笑)



有意義な一日になりました!




横浜探訪の回でした。






物事を簡単にする極意は「引き算」にあり。

 

 

 

 

引き算に興味が湧いきました。

 

 

 

 

 

足し算こそ正しいと思い込んできました。

 

 

 

できないことは修練して上達する。

 

 

 

できない。

 

足りない。

 

 

 

 

「ない」から足すことで「在る」に換えてきました。

 

 

 

 

でも、それって本当だろうか?

 

 

 

と疑問を抱きます。

 

 

 

 

 

人は過去の記憶で生きていますよね。

 

 

 

 

これまで「ない」と信じていた。

 

 

 

足すことで在るをつくってきた。

 

 

 

だから、

足すことこそが正解と信じている。

 

 

 

 

 

でも、その記憶によって

ガチガチの固定概念になっていたら?

 

 

 

 

 

固定概念は枠内でしかものごとを見てません。

 

 

 

 

 

 

もし枠を外したら、新しい発見があるはずです!

 

 

 

 

 

 

枠を取っ払った先に見えるもの・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは可能性。

 

今のままではできないと信じていた。

 

実は見えてなかっただけだった。

可能性は元々あった。

 

 

 

 

 

 

それは豊かさ。

 

足さないと豊かになれないと信じていた。

 

実は足す以前から豊かであった。

 

 

 

 

 

それは自由。

 

がんばった先に自由があると信じていた。

 

制限をかけていたのは自分だった。

実は自由であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくらは過去の記憶を信じています。

 

 

 

世の中はこういうものだ。

 

人生はこういうものだ。

 

自分とは〇〇な人間だ。

 

 

 

 

信じているものは人それぞれ体験したことにより違います。

 

 

 

 

 

体験が違えば信じるものも違います。

 

 

 

 

固定概念は人それぞれ違う。

 

 

 

つまり、正しいと信じていたけど

それは、あやふやなものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういうことなら、

「固定概念」というものを差し引いたらどうでしょう?

 

 

 

 

 

固定概念そのものは無くならないけど、

 

 

信じていることを、

立ち止まって疑うことはできます。

 

 

 

 

固定概念の引き算(手放し)によって

世界の見え方が変わると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行動がだいじ」と言われます。

 

 

なぜ、行動がだいじなのかぼくの見方を書きますね。

 

 

 

 

先日、あるリーダーに提案をしました。

 

 

 

「ぜひ、やりましょう」と返答があり進み始めました。

 

 

 

 

 

一歩踏み込んだら、次のアイデアが浮かびました。

 

 

 

 

提案(行動)したから出てきたものです。

 

 

 

 

だから行動がだいじ。

 

 

 

 

 

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次に、思考と感覚について書きますね。

 

 

 

 

 

「考えること」はだいじですが、

「感覚」はもっとだいじだと思っています。

 

 

 

 

 

感覚には「五感」がありますよね。

 

 

 

 

見る、聴く、嗅ぐ、触れる、味わう。

 

 

 

 

目、耳、鼻、肌、口で感じます。

 

 

 

 

 

思考は脳を使いますが、

感覚は身体全体で捉えます。

 

 

 

 

 

 

身体センサーで感じたものを神経回路通って脳へ伝えます。

 

 

 

 

 

脳と各部位同士はコミュニケーションを図ります

 

 

 

 

 

 

 

思考は脳がメイン。

感覚は身体全体が連携して働きます。

 

 

 

 

 

さらに得た情報は脳だけでなく部位に記憶として残ります。

 

 

 

 

手が覚える記憶。

 

耳が覚える記憶。

 

肌が覚える記憶・・・。

 

 

 

 

 

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ほとんどの人は自転車に乗れますよね。

 

 

 

でも、初めは乗れなかった。

 

 

 

 

何度もコケながら練習するうちに上達した。

 

 

 

 

 

知識だけでいきなり乗ることはできません。

 

 

 

 

 

そのことは誰もが知ってるとおりです。

 

 

 

でも、何度も乗るとコケるを繰り返せば乗りこなせます。

 

 

 

 

このように感覚をつかむには何度もやってみること。

 

 

つまり行動することがだいじ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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あと、こういうことも言えます。

 

 

 

人は、個別の身体をもっています。

 

 

 

身体は別々なのに、

「心が共感」することがありますよね?

 

 

 

 

共感のきっかけは「共通する体験」からやってきます。

 

 

 

 

あなたが学生時代の思い出話しをしたら、相手はすごく共感した。

相手にも同じ体験があったから。

 

 

 

 

 

あなたが悲しい思い出話しをしたら、相手は涙を流した。

相手にも同じ体験があったから。

 

 

 

 

 

ぼくらは別々の存在でありながら、

深く共感することがあります。

 

 

 

 

共感によって互いの存在はつながろうとします。

 

 

 

 

 

人間は身体は別々でありながら、

感覚ではつながれる。

 

 

 

 

感覚はそのことを知っています。

 

 

 

 

 

 

だから、

「考えること」はだいじだけど、

「感覚」を扱えることはもっとだいじ。

 

 

 

 

 

 

感覚は、脳も身体も持つもの全て使った

オール自分の総合戦なのです。