25日は中秋の名月。


今夜は残念ながら、

雲がかかってお月様は見えません。




世界のどこにいても

晴れた夜空を見上げれば月があり、


その月を望遠鏡で覗けば、

クレーターがくっきり見えます。



目で見る月と、

望遠鏡で見る月は

同じ月だけど違って見えます。



もし望遠鏡のない時代に、

人々が拡大した月を見たら、

さぞ驚くでしょうね。



目で見る月と、望遠鏡で見る月。



同じモノでも

見え方は違って見える。




で、ちょっと、

こんなことを想像しました。



もしかすると人間も、

同じモノを見ても

見え方は違うんじゃないかな?



同じ姿、同じような見た目でも、

見え方は異なると思うんです。



例えば、スピリチュアルな人は

ふつうの人と見え方が違いますよね。



「なんでそんなこと分かるの?」


と不思議に思います。



でも、その人にはそう見えるのが

ふつうなのかもしれません。





そう言えば、、


と自分を振り返っても似たようなことが

起きています。



多くの人が

「この問題はどうしたらいいだろう?」

と困ってる様子をみながら、


「それならこうすればいいのに、、」


と思うことがたまにあります。



みんなが分からないことがなぜか分かる。



逆に、

みんなが分かることが、

全く分からないこともよくある。



そういう時は分かったフリでやり過ごす(笑)



冗談はともかく

そのようなことが起きるのは、


同じ人間の目で見ても

見え方は異なって見えるからだ。




さらに、こんな想像をしました。




もし日常生活で望遠鏡を付けて生活したら

すごく見づらい。



望遠鏡は遠くのものを見るにはいいけど、

日常生活では使えない。



望遠鏡は、

月や宇宙の果てを見るにはとても便利。


 


このように、

もしふつうと違うと感じたら

自分を適した場所へ連れてってあげればいい。


遠慮はいらない。


そうしよう♪






自己愛と自己犠牲。


対照的ですね。



自己犠牲は自分より他者を優先すること。



一見、謙虚で優しそうだけど、

自己犠牲をしている間は

人生は良くならないようです。

(経験済み)



なぜか?


きっと、自分を後回しにすると枯れていくから。



心が枯れることもあるし、

お金が枯れることもある。



自分が枯れてしまうと、

他者へ届くものも届かなくなる。



ということは、

自分より他者を優先すると

自分も他者も回らなくなる



じゃあどうすればいいでしょう?



「自己犠牲」ではなく

「自己愛」を満たすこと。




人は愛されることで満たされ、

愛を失うことで枯れていく。



自分に愛されなければ、

心は痩せ細ってしまう。



だから自己犠牲をしても良くならない。




時々、自己チェックするといいかも。



こんな感じで↓



今、

心は潤っているか?

(干からびてないか)


身体は整っているか?

(疲労が溜まってないか)


お金は満たされているか?

(枯渇しかけてないか)



自分には自己犠牲が合っていると、

勘違いしてないか?



自分を労い、優しくし、

ちゃんと愛情を注いでいるか?





世の中を見渡せば、

うまくいく方法を教えるものがたくさんあります。



トイレを掃除するとか、

神社にお参りするとか、

断捨離をするなど、、。



きっとどれも大事なのでしょう。



でも、一番の基本は自分に愛情を注ぐこと。




心理学では接触回数が増えると

相手に親しみを感じると言われます。

(単純接触効果)



だとすれば、

自分に向けていい接触を繰り返したら、

自分といい関係が築けそう。



自分との関係を良くすることから、

全ては始まっていくと思います。




ここはどこ?


滋賀県 近江八幡ラコリーナ



砥鹿神社へお参り。


鹿さんの親子です。



さて、今日は秋分の日。


いかがお過ごしですか?



ぼくにいま来ているテーマは

「豊かさ」について。



さて、豊かさとは何でしょう?



手に入れたいもの?


なかなか手に入らないもの?


それとも既にあるもの?



人によって感じ方はさまざまです。



多くの人は豊かさを、

どれだけ所有しているかで測ります。



銀行の預金残高がいくらある、

とか

土地をどれだけもっている、

とか。



自分がどれだけ所有しているかで測ります。



もちろんそれも正しい見方だと思います。




前回掲載した山奥の川の写真。


山奥という高い場所にありながら、

水が豊富に流れてきます。



川に流れる豊富な水は見方によっては

豊かさとして捉えられますよね。



この豊かさはどこから運ばれてくるのでしょう?



上流を辿っていくと、流れがどこから運ばれるのか見ることができます。



辿って、辿って行くと源流までは

見ることはできます。



でも、そこから先は見えません。



その先はと言うと、

源流は地面が水を作るのではありません。


雨雲が山に雨を降らせ、

雨水が山のあちこちから湧き出てきます。


細い流れが太くなり、やがて川になります。


理科や社会で教わりましたね。





これと同じことが、

ぼくらの暮らしの周りにも起きています。



豊かさがどこから運ばれるか?


追っていくと、

あるところまでは目で見えます。



でも、あるところから先は目に見えません。


理科や社会でも教えてくれなかった。



でも、

人の想像力や好奇心を使って追って行くと、

見えてくるものがあります。



あぁ、なるほど、

そういう流れに乗って豊かさは

運ばれてくるか、、。




この感覚が腑に落ちると

豊かさの測り方が変わってきます。


いくら銀行に預金残高があるか?

とか、

どれだけ土地をもっているか?

など、

それだけが豊かさを表すものでは

ないと分かります。

(それらを包括しちゃいます)




豊かさの本質が分かると、

生み出し方のイメージが湧いてきました。



それまで信じていた

豊かさの作り方とは別ものです。



山に例えると、

水を生み出す雨雲のようなものは、

周りに存在しています。



ただし、それは雲のように

ものとしてはハッキリと見えません。



まるで雲を掴むような話でしょうか(笑)



もしかするとぼくらは、

豊かさを手に入れることばかり考えて、

すでに豊かさを見過ごしているのかもしれません。