部屋の窓から見える夜空に、

ぽっかりと月が浮かんで見えます。



そういえば、今夜は満月でした。




月は満月🌕もあれば、

半月🌓もあり、

三日月🌙もあります。




半月は月が半分になるのではなく、

光の当たり方によって、

月が半分に見えます。


  


月は球体。


でも、見る月日の時間帯によって、

見え方が変わります。



また、月は世界中の国の人々も見れます。



それだけでなく、

歴史上の人物はもちろん、

古代の人も、恐竜たちも見ていました。




さらに、何世代の後の未来人も

月を見ることででしょう。




未来人は、

月を見て何を思うでしょうか?




そんなふうに、

月を見ながら想像を膨らまました。




同じ月を見ても、


想像によって、

月に意味が加わったり

物語めいたものを感じませんか?




月を例にしましたが、

ぼくらは、日々、いろいろなものを見ています。



さらっと、何気に見ています。



いや、ほとんどの場合、

そこにあっても見えていませんね。




いろいろなものを見て、

そこに意味を見出したり、

物語を感じられるのは

心が豊かな証拠だと思います。




豊かさは、意識を広げれば、

そこにあると気づけるものだよ。



そのように、月が教えてくれた気がします。





















以前のぼくは、

人の分まで仕事をやることに、

喜びを感じていました。




いや、本当は、

これだけ頑張ったのだから

「きっと許される」

という気持ちで打ち込んでいた気がします。



自己肯定感の低さは、

自己犠牲につながる。




でも、悲しいかな、

自己犠牲で報われることはありません。



「許されたい」という思いは

どこから来てるのでしょう?



悪さをした覚えはないのに、

許されたいと思うなんて、

ちょっと、ヘン。




自己犠牲って、

自分が許されたくてやるわけで、


ある意味、

自分都合とも言えるかも?



自分都合でやってたら、

運もツキも良くならない。



じゃあ、どうするか。



自分は、

すでに許されていた!

と気づくこと。



許されるどころか、

祝福さえ受けているはずです。




許されたい、

という不安な状況から、

祝福されている、

という無事安泰な状況へ。





自己犠牲なんてやめちゃって、

もっと人を信頼すればいい。




過去記事で書いたのは、

「文明の発展は分業による」という考え方。



それぞれが、

得意なものを専門にして(分業)

全体が発展してきました。




そう考えると、

自己犠牲は人の専門性に頼らず、

自分で全部やるというものです。



それじゃあ、発展はできないのは当然。




人さまの、

それぞれ得意を活かさせていただく。



これって、

ありがたいことではない?


(書きながら気づいた)




誰かの得意は、

他の誰かを喜ばせるうえに、

お金までいただける仕組みです。



見方によっては、みんなが

自分のためにいろいろなサービスを

いつも準備しているとも見えてきます。




サービスはより多く使われるほど、

お互いが良くなる仕組みです。


(よくできた仕組みだこと)




そうと分かったら、自己犠牲から即刻降りる。

(許されている)



そして、自分を信頼する。

(祝福されているから)




自分を信頼するようになると、

人さまのことも、

真の意味で信頼できるようになる。




信頼の橋が架かると交流が始まる。



モノ、

情報、

お金、

感謝、

リスペクト。



それらが、ぐるぐると廻るから、

全体が良くなって発展するんだ。


納得!





ところでぼくの専門性はなんだろう?



きっと、


人それぞれの得意を見ながら、

その得意をより伸ばす方法を見つけること。



あなたの得意と、

あの人の得意を

くっつけたら新しい価値を生みだせるよ!

と教えてあげたり、



今なら、

下請けポジションしゃなく、

上のポジションに行けるよ!

と囁いてあげたり、




その商品の本当の価値は、

表から見えない背景の方にあるんだよ、

と呟いたり。



そういうことならできそう。




相手のもつ価値を、

より膨らませることに喜びを感じられる。




専門性につながるものが

一つ見つかって良かった♪




それぞれの得意がある

の話しでした。